君の瞳に恋してる

 たとえて言うと、猫みたいだ。

 ふわふわした猫っ毛のロングヘア、目尻の上がったアーモンド型の大きな眼。
 同じ大学で、親友の杉崎圭一の弓道部の後輩で、おれたちより二つ下の女の子。
 笹本あかり。

 彼女は人と話すとき、相手の眼をじっと見つめる癖がある。
 だから、勘違いする奴が結構多い。
 おれ・飯島司も、かく言うその一人だったりする。
 黙ってると冷たい顔立ちなんだけど、彼女の表情はくるくる変わる。
 なんか仔猫みたいで愛くるしい、って感じなんだよな。

 あの悪戯っぽい黒い瞳に魅せられる。
 油断すると蠱惑されそうになる。
 あの眼は、気まぐれな野生の猫を思わせる。

 その日、学食で彼女を見かけた。
 窓際のテーブルに一人、笹本あかりは手にしたスマホに熱心に視線を落としている。
「あかりちゃん、何してるの?」
「飯島さん」
 彼女は見つめていたスマホから目を上げ、おれに向かってにっこりした。
 おれはその瞳を探るように凝視する。
「ちょっと、コンサート調べてて」
「コンサート?」
「ほら、夏に飯島さんが誘ってくれたやつ、わたし、行けなかったじゃないですか」
「うん」
「あのチケット、圭一先輩にあげたって言ってたでしょう」
 そうだ。
 彼女のために取ったピアノのコンサートのチケットを、無駄にしないために圭に譲ったっけ。
「圭一先輩がクラシック好きだなんて知らなかったから。なんかいいのやってないかなあって……」
 はいはい。
 この子が圭を好きなのはずっと前から知っている。
 向かいの椅子に腰を下ろし、スマホを眺める彼女を頬杖をついてじっと見ていると、上目遣いにちらと睨まれた。
「何ですか、飯島さん。今日は女の子と一緒じゃないんですか」
「いや。あかりちゃんを見ていたいなって」
 とっておきの笑顔で思わせぶりに言ってみると、なに言ってるんですか、と苦笑を返された。
 解ってるんだかいないんだか。
 軽い男と思われがちだが、別に誰でもいいわけじゃない。
 本気の恋ってやつをしてみたいだけだ。

 ふとした瞬間に思う。
 この黒い瞳に恋してる。

 もしかしたら。
 いや、もしかしなくても。

 彼女さえおれのほうを振り向いてくれたら、恋は始まる。

「おい、司」
 いきなり無粋な声が、おれの夢想をさえぎった。
 一気に現実に引き戻される。
「……ああ、圭」
「昼飯どうする? おれ、午後は講義ないんだけど」
 やってきたのは彼女の片想いの相手。杉崎圭一。
 おれにとっては一応親友なんだが、恋敵でもあり……
「圭一先輩!」
 笹本あかりの顔がぱっと明るくなる。
「おう、笹本」
「あのっ、えっと」
 あかりは眼を伏せた。
 人の眼を見つめる癖のある彼女だが、本命の圭の眼だけは見られない。
 だから、視線を落とし、遠慮がちに口ごもる。
「あの、先輩、ピアノとか、クラシック好きなんですよね? わたしもなんです。で、今度よかったら一緒に──
「あー、悪い。その、好きっていうか……おれじゃなくて、彼女が」
「……」
 笹本あかりは眼を真ん丸にした。
「え……? 先輩、彼女いないって」
「あーうん、夏休み前?……に? できたんだ」
「……」
 圭が気まずそうなのは、彼女の気持ちを慮ってというより、単にこういう話題が苦手だからだ。
 笹本あかりは呆然としていた。
「じゃあ、司。おれ、行くわ。昼飯、一緒できなくて悪いな」
「おう、気にすんな」
 なんとなく居心地の悪さを感じたのか、圭は曖昧に言って、学食を出て行った。
 その後ろ姿をじっと見送る笹本あかりを横目に見て、おれは深い深いため息をついた。
──飯島さん、知ってたんですか?」
「まあね」
 あいつの姿が見えなくなってから、彼女が低い声でおれに尋ねる。
「なんで教えてくれなかったんですか」
「言えないでしょ? あいつが黙ってるのに」
「はあぁぁ……」
 彼女はテーブルの上に肘をついて、両手に顔をうずめてしまった。
 泣き声のようなため息さえ、愛らしい。
 って、彼女にとってはそれどころじゃねえよな。
「やけ酒でもする? 付き合うよ。……っと、あかりちゃん、未成年か」
「やけです」
 あかりはガバッと顔を上げた。
「パフェのやけ食いします。でも、飯島さんは付き合ってくれなくて大丈夫。逆に危ないですから。友達誘います」
「はは」
 やっぱり可愛い。
 少し強張った表情も、涙をこらえる険しい目許も。健気だな。
 彼女の失恋を喜んでしまっているおれがいるが、弱っているところに付け込んでもいいのかな。
 傷が癒えるまでしばらくそっとしておこうか。

 もし、君が本気になってもいいというのなら、おれも本気で恋に落ちる自信はあるんだが。
 愛くるしい黒い瞳は、そう簡単にはおれの瞼から消えやしないだろうから。
 ──もう少し、もう少し先でいい。
 何かが始まることを期待するのもありだと、あかりちゃん、君から言ってくれないかな。

Fin.

2008.1.13.
加筆修正 2024.12.15.

過去に書いたものをリメイク。
『JE TE VEUX』の姉妹編です。