時は古代、沈黙の時代
 ある世界のある大陸におこった、これは、物語である──

序章 妖霊星

 大陸全土を嵐が襲った。
 大気を、大地を、世界をも震撼させる嵐であった。
 世の終末を告げるごとく、
  雨は舞い、
   風は唄い、
    嵐は荒れ狂った。
 十の朝と十の昼。
 そして十の夜を吹き荒れた。
 やがて夜は十一日目を数える。
 ようやく大地が静けさを取り戻したとき、人々は夜空に輝く妖霊星の出現を見た。
 夜──
 不気味なほど静まり返ったこの夜。
 ヤヌス神殿の中で、一人の男児が誕生した。

 赤子を産んだのは巫女であった。
 神に仕える巫女であった。
 美麗さと優雅さの象徴、愛を司る女神・ウェヌス。
 そのウェヌス女神の化身のような、それは、美しき巫女であった。

 ヤヌス神殿の神官たちは、巫女を、神を裏切った罪人として、厳重な見張りのもと神殿の奥深くに幽閉した。
 純潔の誓いを破った巫女には、死罪の掟が定まっていた。

 巫女は、ヤヌス神の祭司に訴えた。
 わたしは禁を犯していない、身を穢してはいないのだと。
 年老いた祭司は慈悲深い人であった。
 祭司は静かに巫女の訴えに耳を傾けた。
 純潔のまま身ごもったこと、
 神への揺らぎなき信仰心。
 生まれた赤子は間違いなく神の御子だということも。
 巫女の日頃の信心深さを、祭司は誰よりもよく知っていた。
 老いた祭司は、巫女に同情のこころを抱いた。
 赤子が神の御子であることを、信じた。

 巫女が死罪を免れないことを知る祭司は、密かに巫女に逃亡を勧めた。
 このまま、そなたが処刑されるのを見るのは忍びない。
 赤子の生命も危うかろう。
 わしが手はずを整え、逃がしてやるゆえ、赤子とともにこの地を去るがよい。
 いいえ、と、巫女は首を振った。
 いいえ、祭司様。
 それでは神の御意志に背きましょう。
 祭司様にもご迷惑がかかります。
 わたしは逃げませぬ。
 神を信じ、赤子を神の御子と信じる巫女は、全てを神の御手に委ねた。

 妖霊星は妖しく輝く。
 巫女にとって、夜ごと現る妖星は、赤子を導く神の意志だった。
 赤子の誕生を祝福する神の御心の証しだった。

 美しきヤヌス神殿の巫女は、裁判にかけられた。
 人々は神の子を認めなかった。
 人々は嵐を凶兆と見た。
 人々は妖霊星を凶星と見た。
 巫女はあくまでも身の潔白と神の意志を主張した。
 人々が怖れる、妖霊星の導きを説いた。
 ──赤子は悪魔の子、邪神の子とされた。

 掟の神の祭司は叫んだ。
 この女は邪神の使い、邪教徒の巫女。
 この女の産んだ赤子は神の子にあらず、邪神の子じゃ。
 汝は我らの神に背き、我らの神を欺いた。
 我らの神の巫女の身を借り、邪神の子を産んだ汝の罪は重い。
 邪神の生命は絶たねばならぬ。
 邪神の子は火炙りに処す。
 邪神の子を産んだ巫女は、その身をもって償うがよい。
 汝を神・ヤヌスへの生贄とする。

 美しき巫女は叫んだ。
 あなた方の眼に真実は映らぬ。
 あなた方には神の子の姿は見えぬ。
 しかし、来たるべき日、あなた方は理解するであろう。
 神の御意志を。
 神の御子の存在を。
 そして、神の怒りを。
 神の御心を知らぬ愚かな人々の手で、一人の巫女の生命が絶たれても、それは神の御意志と受け止めよう。
 しかし、あなた方に神人かみびとである御子の生命は絶てまい。
 御子の運命を決めるのは、人間ではなく、神なのだから。
 あらゆるものの運命は、全て神の御心のままなのです。

 巫女はヤヌス神への贄となった。
 わずか二十年の短い生涯を儚く閉じた。
 しかし、燔刑が行われんとしたその日。
 幽閉されていた北の塔から、赤子は忽然と姿を消した。

 妖霊星は未だ輝く。
 きらめく星河の支配者のように。
 妖霊星は見たり。
 下界にある全てのものを。
 しかし、星は語るべき言葉を持たぬ。
 ただ、輝く沈黙を守るのみ。

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