“鍵”を探す山師
1.
巡礼者であろうことは辛うじて判るが、その男はとても奇妙ななりをしていた。
もとは黒衣であったのだろうが、埃にまみれたその衣服はやや薄く色褪せ、手には太い杖を、そして肩には大きな革袋を担いでいた。
頭布はつけていない。
かなりの老齢だろう。顔には幾重にも皺が刻まれ、濃い灰色の髪は、乱れて逆立っていた。枯れ木のように痩せているが、それでも背筋はぴんと伸びている。
「麦酒をくれ」
酒場に入り、しわがれた声で店の者にそう叫ぶと、荷物を床にどさっと落とし、どっかと木の椅子に腰かけた。
小さな村である。
寒村といったほうがいいかもしれない。
霊峰群の最南の峰の山間に位置するここは、ヴァレシナク街道にほど近い、小ぢんまりとした村落であった。
巡礼のルートではあるが、ほとんどの旅人はこの村に足をとめることなく、素通りしていく。日の入りにぶつかり、宿を頼む旅人もそう多くはない。
夕刻。
村で一軒だけの酒場は、まだ時間が早いこともあって、人はまばらだった。
先刻この酒場にやってきた奇妙な老人は、ちらちらと入り口のほうを気にしていたが、やがて、大きくふーっと息をついた。
酒場の中を見廻していた老人の動きが、ぴたりと止まった。すぐ後ろのテーブルでなされていた会話が、聞くともなしに耳に入ってきたのだ。
「それは、もしや、精霊の宿り石ではありませんか?」
ゆったりと、心地好い声だった。
「宿り石?」
若い声がそれに答える。
「神代、四魔神の所有物であった四宝珠のことです」
そのテーブルには、二人の男がついていた。
一人は半白の髪の初老の男。ゆったりと煙草をくゆらせながら、熱心に相手に話しかけている。
もう一人は淡い金髪の若い男。向こうを向いているので顔は見えないが、声が若い。黒い頭布に黒い装束を見れば、巡礼の者だとひと目で判る。
「四宝珠?」
「それ、その耳飾りに嵌め込まれている、青い石です」
初老の男が金髪の若者の左耳の耳飾りを指差した。
「そもそも精霊というのは何かに従属することをしないものだが、その四宝珠の精霊たちだけは四色の石に従属し、石を持つ者に従属する。そして、宿り石の持ち主を護り、幸福をもたらすと言われている。古い古い言い伝えの石です」
夢物語を語るような眼差しで、初老の男は紫煙を吐いた。
「四宝珠の色は、赤、青、黄、緑。聞くところによれば、青い石は深い瑠璃色をしているとか。大きさも、ちょうどそれくらいですな。まさか、本当に四宝珠というものが存在するかは眉唾物だが、それが本当なら、ぜひとも手にしたい代物です」
遠くを見るように話していた男が、突然、若い巡礼者に向き直り、その眼を大らかに見て言った。
「どうでしょう、その石が宝珠でなくても構いません。売ってはくださいませんかな」
「でも、これは……」
「この僻村から出ることもなく、私はつまらない一生を終えるでしょう。そんな人生だからこそ、夢を買いたいのですよ」
しかし、金髪の巡礼者ははっきりと首を横に振った。
「申し訳ありませんが、それには応じられません。この石は、僕にとって他のものには代えることのできない大切なもの。四宝珠のひとつであろうがなかろうが、関係ありません」
「……そうですか。残念ですな」
初老の男は無理にとは言わなかった。
本気でそれが精霊の宿り石だと思っているわけではなく、戯れに申し出てみただけなのだろう。
やがて、二言三言、言葉を交わすと、金髪の若者は店の者に勘定を支払い、すっと席を立って、酒場を出て行った。
初老の男は、悠然と煙草を吸っている。
二人の話をじっと聞いていた色褪せた黒衣の老人は、運ばれてきた麦酒をぐーっと飲み干すと、若い巡礼者を追って酒場を出た。黒衣の姿はすぐに見つかった。
「そこな巡礼の方、お待ちあれ」
その声に振り向いた黒衣の若者を見て、老人は感嘆の表情を作った。
刹那、月神を思った。
物憂げな眼差し。神像のような、玲瓏たる容姿と雰囲気。
それほど美しい若者であった。
「何か?」
老人は、慌てて威厳のある素振りをした。
「わしの名は天狼師。魔道師じゃ。水脈を掘り当てたことも一度や二度ではないぞ」
大威張りで胸をはる老人に、美しい巡礼者は簡潔に結論を口にした。
「……ああ、山師ですか」
天狼師と名乗った老人は、咳払いをした。
「魔道師じゃ。石ころを金剛石に変じることなんぞも朝飯前じゃ」
「……だから、山師でしょ」
天狼師は顔をしかめて横目で美貌の巡礼者を睨んだ。
「礼儀を知らん若造じゃな。まずは名を名乗らんか」
「ユリウスといいます。見ての通り、巡礼の者です」
「ほうほう。ユリウスというか。わしも巡礼の身じゃ。とは言っても、わしの旅は、人探しが目的じゃがな」
天狼師はじろじろとユリウスの耳飾りに象嵌されている青い石を見た。
「四宝珠はな、四つがそろうと、それは大きな力になるんじゃ。ほんに、恐ろしいほどの力にな。神代、この大陸を支配しておった魔神たちでさえ、四つの石をそろえた者はおらん」
「さっきの酒場で話を聞いてたんですね」
「もし、四つ全てがそろったら、この大陸全土の支配者になることもできるぞ。四魔神でさえ、成しえなかった夢じゃ。富も権力も思いのままじゃ」
「……で、いったい何が言いたいんですか」
「その石をわしにくれ」
「……」
ユリウスは憮然と天狼師を見た。
「“買う”じゃなくて、“くれ”ですか?」
「そなたが持っていたところで、宝の持ち腐れじゃろ? わしなら有効に使うことができる」
当然というような顔でぬけぬけとのたまう天狼師に、ユリウスはやれやれと吐息をついた。
「石の精霊は、持ち主を選ぶといいますよ。石を持っているからといって、必ずしも、石がその効力を発揮するとは限りません」
「ほうほう。そなた、いやに詳しいな」
「選ばれた持ち主ですから」
さらりと言ってのけるユリウスに、うんうんとうなずいていた天狼師が、愕然と眼を見張った。ターコイズの色をした瞳だった。
「なんじゃと? それじゃあ、本物か? 本物の青い宝珠なのか?」
「ええ、まあ」
「ゆずってくれ! ──あ、いや、買う。値段をつけろ」
胡散臭そうな目付きで天狼師を一瞥し、ユリウスは踵を返して歩き出した。が、天狼師もおいそれとは引き下がらず、ユリウスのあとについていった。
「言い値でよい。一度に払えずとも、必ず払う。──払える範囲でならな。我が神に誓ってもよいぞ。おい──こら、待たんか」
ユリウスは、追いかけてくる天狼師をちらりと見て、歩みを止めずに言った。
「何が目的です。四つの石を手に入れて、大陸の支配者にでもなるつもりですか」
その歳で──と、皮肉をこめてユリウスは言ったのだが、天狼師はさもおかしそうにからからと笑った。
「わしの目的はそんなもんではない。さっきも言ったじゃろう、人を探していると」
「四宝珠の持ち主を?」
「はん! この世の権力などに興味はない。わしが探しているのは“鍵”じゃ。異界の扉を開く鍵となる人物を探しておる」
「鍵?」
ユリウスは首を傾げ、
「じゃあ、なぜ青い石を欲しがるんです?」
「“鍵”を見つけるために、大いに役立つじゃろうからな」
天狼師は力をこめて言った。
すでにユリウスなど眼中にない。
「四宝珠は自然界を構成する四大元素の核にも等しい石じゃ。その石に宿る精霊は、この大陸の全てを己が眼で見てきたことになる。何千年もの歴史をじゃぞ。いや、もっと長くの年月かもしれん」
天狼師の熱を帯びた独白は、聞き手の存在を無視して続けられた。
「何千年も生きているという精霊ならば、きっと、異界の扉のことも知っていよう。人間には判らぬこの世の節理も知っていよう。どうすれば、いつ、妖霊星が現れるかが、判るかも知れぬ」
「──妖霊星?」
ユリウスの足が、初めて止まった。