“鍵”を探す山師
2.
「妖霊星について、あなたは何か知っているんですか?」
「まあ、知っているような知らぬような……」
天狼師はのらりくらりと言った。
「そうそう、そなた、今夜はどこへ泊まるんじゃ? わしも同じ宿にしよう。つもる話もあることじゃしな」
「はあ……」
ユリウスは曖昧に返事をした。
「この先に、安くて小奇麗な宿屋があるそうです。さっきの酒場で教えてもらいました。ええと、確か、枸橘亭とか」
「枸橘亭?」
天狼師は、心なしかそわそわした。
「いや、別の宿がよかろう。そこは、その、占星術的に方角がよろしくない」
「はあ?」
「おお、そうじゃ。村の北の外れにも、安い宿があったはず」
「あの」
「うむ。そこなら、方角的にもよろしい」
ユリウスに口をはさむ隙を与えず、天狼師は回れ右をして、歩き出した。慌てて追いかけようとしたユリウスの足を、突然わきおこった怒声が止めた。
「ここにいやがったのか、いかさま師!」
驚いてユリウスが振り返ると、この村の住人らしい中年の男が、険しい形相でユリウスを睨み付けている。
「あの……僕、何か……?」
男は天狼師のほうへ顎をしゃくった。
「おまえじゃない。そっちの奴だ。まさか、このまま逃げるつもりじゃねえだろうな」
「逃げる?」
呆然とユリウスが天狼師を見遣ると、空咳ばかり繰り返している天狼師の様子が明らかに怪しい。
「逃げるとは何じゃ。心外な。ちと……その、夕風にあたっておったのだ。散歩じゃ。散歩」
「じゃあ、その荷物は何だ。前金ふんだくって姿を消しやがって」
「誤解じゃと言うておるに。現に、わしはこの村におるじゃろう」
天狼師は堂々と言い放った。
居直ったようだ。
「これから逃げる算段だったんだろう。前金返して行きやがれ」
「まあまあ、待ちなされ。──ああ、その、そうじゃ、その若いのはわしの弟子じゃ。弟子を迎えに行っておったのだ」
「弟子?」
呆れ果てているユリウスに構うことなく、天狼師は、
「さて、戻るとするか。ユリウス、枸橘亭へ行くぞ」
平然と先に立って歩き始めた。
「やっぱり山師だったんじゃないですか」
「これ、人聞きの悪い。魔道師じゃ。ただし、できないこともある」
すっかり巻き添えを食ってしまった形のユリウスは、彼らしくもなく、天狼師のペースに乗せられたままである。
「それで、天狼師は何をやらかしたんです?」
宿まで同行してきた村人に、ユリウスは訊いた。
「どうもこうもない。宿に病人が出たんで、医術の心得のある宿泊客はいないかと尋ねたところ、名乗り出てきたのが、このご老体だったんだよ」
男は、宿屋の──枸橘亭の主人であった。
「こんな人に治療を頼んだんですか?」
と、ユリウスは呆れ、天狼師に杖の先で小突かれた。
「村に薬師はいないのですか?」
「村はずれに呪術医が一人住んでるが、これがどうしようもない飲んだくれでな。当てにはならん」
天狼師とはいい勝負ですね、と言いたかったが、背後の天狼師にちらりと視線を向け、ユリウスは言葉を飲み込んだ。
ユリウスと天狼師は枸橘亭のある宿泊客の部屋へ案内された。
病人は小さな女の子だった。
「医術の心得があるお客さんが来てくれて助かったよ」
宿の主人はユリウスと病人の家族を引き合わせた。
童女の両親らしい男女が、不安と安堵をない交ぜにしたような表情で、無言でユリウスに頭を下げた。
「医術といっても、心霊治療の初歩程度ですが」
「それにしても、こんなインチキじいさんの弟子にしとくのは勿体ない」
「いえ、だから弟子というわけでは……」
「うぉっほん!」
天狼師がそわそわとユリウスの肩を背後からつつく。
「そなた、大丈夫なのか? いい加減なことを言うて、わしだけ置いて逃げる気じゃあるまいな」
「あなたじゃないんだから……」
ユリウスは外套を脱ぐと、てきぱきと処置を始めた。
寝台の上に呼吸を乱した五歳くらいの童女がぐったりと横たわっている。
童女の両親が、不安げに、すがるようにユリウスと童女を見比べた。
「症状は?」
「吐き気と眩暈、あと、頭が痛いと言って……起き上がれません」
「いつからですか」
「昨日のお昼くらいから──歩けなくなり、この村に宿を取りました」
ユリウスはしばらく童女の額に手をかざしていたが、
「ご安心ください。単なる山酔いのようです」
患者の両親を振り返り、微笑した。
「山を下りれば、治まりますよ」
夫婦は顔を見合わせた。
「今から──山を下りたほうがいいでしょうか」
外はすでに薄暗い。
ちらと窓の外を見遣ったユリウスが首を横に振った。
「いえ、いくら街道が敷かれているといっても、小さいお子さん連れで夜の下山は危険でしょう」
「でも……朝までこの子がこのまま苦しむんじゃ……」
母親がおろおろと、両手に握りしめた手巾を神経質にまるめたり引っ張ったりした。
「お嬢さんの周りに空気の層を作ります。朝までもたせますから、明日の朝、下山されればいいでしょう」
「……空気の層?」
ユリウスは童女に掛けられた掛布の裾をめくり、爪先に人差し指と中指を当て、小さく呪文を唱えた。そして掛布をもとに戻すと、今度は童女の額に二本の指を当て、再び呪文を唱えた。
「これでいい。濃い空気の層を作ったので、もう少ししたら、お嬢さんの呼吸も楽になるでしょう」
童女の額から指を離し、ユリウスはやや首を傾げた。
「微熱もありますね。ゲンチアナ──あったかな」
ユリウスは自分の荷の中から薬草の袋を取り出し、中を調べた。
ゲンチアナ──竜胆には解熱作用がある。
「薬草なら、例の呪術医のところにいろいろあるはずだ。もらってこよう」
部屋の戸口のところからユリウスの診療を眺めていた宿の主人が、気を利かせて口をはさんだ。
「すみません。お願いします」
夫婦の感謝の言葉に送られて、ユリウスと天狼師は病人の部屋をあとにした。
「それにしても山酔いとはね。あの親子は、もっとずっと麓の村の住民だったんだな。子供はこんな高い場所まで来るのは初めてだったんだろう」
二人の先に立って歩く枸橘亭の主人が、独り言のようにつぶやいた。
「山に住むわしらには縁のない病気だ」
「ふん。山酔いくらいなら、わしにだって治療できたわい」
「山酔いの治療って……山から下りるだけですよ、老師」
主人のあとについて歩きながら、あくまでも虚勢を張る天狼師に、呆れ顔のユリウスが続く。
「ところで、ユリウス。空気の層とは、どうやって作るんじゃ?」
「あの子の周囲に空気の精を多く滞留させたんです」
「空気の精? そなた、そんなことができるのか」
「はっはっ、弟子はまともな魔道士なんだな」
本気で驚く天狼師の様子に宿屋の主人が笑い出した。
「それにしても助かったよ、ユリウスさん。礼金はあとで部屋に届けよう」
「あの人たちは、あんな小さな子を連れて霊峰群に入るつもりだったんでしょうか?」
「あ、いや、霊峰群の入り口までだよ」
宿の主人は食堂に二人を案内した。
食堂にいる客は宿の泊り客ばかりではなく、食事だけをしに訪れた村人の姿も混ざっている。
主人は空いている席を二人に手で示しながら説明した。
「この辺りの村々には、子供が五歳になるまでに霊峰群の神々に引き合わせたら、一生食べるものに困らないという言い伝えがあるんだよ」
「なるほど」
「夕食は宿からのおごりだ。好きなものを注文してくれていいよ」
2005.6.20.