黒牙の後裔
4.
「セラフィム様、おもしろい人物が手に入りました」
「ほう?」
「冬将軍がその行方を躍起になって捜している人物。名はユリウス──」
「ユリウス……?」
セラフィムの眉がぴくりと動く。
「いえ、あのユリウスではありません。レキアテル王国の……」
「ああ、レキアテルの第一王子か。しかし、何だって冬将軍がレキアテルの王子の行方を捜している?」
「とにかく、ご自身で王子にお会いになってみてください。そうすれば判ります」
黒髪の小姓の報告に、黒曜公セラフィムは眉を上げた。
謁見の間ではない。
セラフィムの私的な居間のひとつであった。
眺めのよい場所に露台があり、窓は大きく開かれている。
春の穏やかな風が、花の香りを運んできた。
眼の見えないユリウスは、寄り添うディディルの説明で、室内の様子を理解した。
「豪華な部屋です。贅をつくした調度品、大理石の床、美しい壁画。多灯架や燭台は黄金のようです」
「窓からは何が見える? この都の様子はどうだ?」
「ここは城塞都市で、周囲には美しい田園風景が広がっています。この国の民は、安定した秩序と平和を保っているように見えます」
「戦争の影は感じられぬ、か……」
それなのに黒曜公は、窺見を放って冬将軍の動向を探らせている。
戦いを仕掛けるため──?
不意にユリウスが人の気配を感じて顔を上げたのと同時に部屋の扉が開かれた。
「黒い都へようこそ、ユリウス王子」
「……!」
──黒曜公その人だ。
ユリウスには直感で解った。
「あなたが、黒曜公──ですね」
黒牙の後裔とささやかれ、謎に包まれた黒曜公国の若き君主が、今、自分のすぐそばにいる。
窓辺で外に向かって立っていたユリウス王子は、緊張を相手に悟られないよう、ゆっくりと声のしたほうを振り返った。
レキアテル王国の王子とその従者らしき少女を、部屋の入り口で、黒曜公セラフィムはさりげなく観察した。
王子は鷹揚に構えているが、少女のほうは険しい顔付きで、敵意むき出し、といったところか。
セラフィムは苦笑して扉を閉めた。
「そこの娘。何もそなたらを取って食おうというのではない。これでも私は、そなたらを客人として迎えているのだぞ」
ゆったりとした歩調で部屋の中央まで進んできたセラフィムを屹と睨み、できるだけ威厳を損なわないよう、それでも噛みつくようにディディルは言った。
「子供だと思って見くびらないでください。わたしはこれでもレキアテル王家に仕える方士なのですから」
セラフィムは屈託なく笑った。
「では、お勇ましい方士殿。お名前を教えてくださるか」
「……ディディルと申します」
ディディルは、やや意外な思いで戸惑ったような表情を見せた。
黒曜公は、彼女が思い描いていた人物像とは全く違った印象を受けた。
年はユリウス王子より三、四歳上に見える。
少し癖のある短い黒髪。
奇麗な菫色の瞳。
すっきりと涼しげな顔立ち。
華美でなく、それでいて趣味のいい服装。
どこから見ても品のよい貴公子だ。
巷間で噂されているような好戦的なところはどこにもない。
「ディディルか。よい名だ。私の名はセラフィムという」
刹那、王子ユリウスの表情がわずかに動いた。
セラフィムはそれを見逃さなかった。
「名を名乗ることが意外か? 私はどこぞの将軍のように、本名を明かすことを恐れてはおらぬ」
ディディルははっとした。
高等魔術の中には、名を支配することにより、相手を支配する傀儡魔術がある。
だがそれは、よほどの腕を持つ魔道師にしか扱うことのできない技だ。
そのとき、それまで黒曜公に対し斜めに立っていたユリウスが、はじめてセラフィムのほうへ真っ直ぐ向かうよう、立つ位置を変えた。
「あなたは何も恐れてはいないだろう。あなたに強大な負の力を感じる。その源を、私は知りたい」
自分に向けられた翡翠色の瞳があまりにも強い光を放っているので、一瞬、セラフィムは王子が本当に盲目であるのだろうかと疑った。そして、王子の頭にはめられた優美な金のサークレットに気づいた。
サークレットの中央に、黄色く輝く石が──
「その額の石は──!」
セラフィムは驚愕して叫んだ。
「黄色い石……! 冬将軍の狙いは四宝珠か」
ユリウスの眼が細められた。
「ひと目で四宝珠を見抜いた。やはり、緑の石はあなたが所有しているのか?」
単刀直入な王子の言葉に、セラフィムは眼を大きく見開き、ユリウスのほうへと大理石の床を一歩前へ進んだ。
緊迫した二人のただならぬ雰囲気に、幼い方士は両手を組み合わせてはらはらとその場を見守っている。
「──まさか、おまえは緑の石が目的で私に近づいたのか……?」
「持っているのだな?」
ユリウスは眼を閉じ、石の気配を探ろうと意識を集中させた。が、そんな王子の意図を察し、セラフィムは嘲笑った。
「おまえの中には光が満ちて見える。光に属する者に、翠珠の気配が判るものか」
「……!」
確かに、その通りだった。
それがたとえば、青珠や紅珠なら、王子には容易くその気配を掴むことができた。しかし、緑の石の気配は、全く判らなかった。
「私の部下と取り引きをしたそうだな。おまえたち二人は、黒耀城の客人として鄭重にもてなそう。しかし、王子の目的が緑の石とあっては、そう易々と帰すわけにはいかん。しばらくはこの城にとどまってもらう」
セラフィムはちらとディディルに視線を向けた。
「そう怯えることはないさ。いくら私でも、黄色い石の持ち主をそう簡単に殺せるわけがない。諸刃の剣を手にした気分だ」
黒曜公は衣の裾を翻し、扉に向かった。
「客人たちのために部屋を用意させよう。無礼は働かぬ。ここは、おまえたちの巨大な監獄だ」
無言の王子を尻目に、黒曜公は高らかに哄笑して、部屋を出た。
「いかがでしたか」
部屋を出ると、そこに黒髪の小姓が待っていた。
セラフィムが不敵な笑みを浮かべる。
「“冬”についているという魔女──なかなか侮れんな」
「ほら、もうここからは黒曜公国よ」
眼下に美しいオリーブ畑が広がる丘陵地に、巡礼の黒衣に身をかためた若者が馬を止めた。
傍らには碧羅をまとった美しい精霊の姿が浮かんでいる。
「黒曜公国……」
ユリウスはゆっくりと周囲を見渡した。
淡い金髪が風に流れる。
「次の集落で馬を換えるか休ませるかしないとな」
「そうね。ずっと走り通しだったから」
青珠はふわりと地に降りた。
「あなたも休まないと」
軽やかに馬から降り、馬の首を軽くたたきながら、ユリウスはわずかに眉をひそめてつぶやいた。
「あれ以来、黄珠が姿を現さない」
「ええ」
それが気掛かりだった。
「王子は無事に黒い都に辿り着けたんだろうか」
「黒い都は、ここからまだ距離があるわ」
「おまえが黄珠の現在の居場所を特定することはできないのか?」
青珠は静かに首を横に振った。
「四宝珠には横の繋がりはないの。それぞれが宝珠の番人という役目を負っているものの、珠精霊は各自が独立した存在。珠精霊同士の意思疎通が可能なら、翠珠の居所など、とっくに知れている」
それもそうだった。
珠精霊が互いの波動を捉えることが不可能だからこそ、青い石が盗まれたとき、紅珠の居所を掴むのにあれほど苦労したし、また、翠珠の行方も不明なままなのだ。
「王子が黄珠に命じない限り、黄珠はわたしたちの前に現れないでしょう」
黄珠が姿を見せないのは王子の意思だと、そう青珠は言いたいのだとユリウスにもよく解った。
「王子なら、千里眼でユーリィの居場所を知ることができるし、何かあれば、必ず黄珠をよこしてくるはず」
青珠の言葉にユリウスはうなずき、
「だが、青珠、もし僕が危険な目に遭ったとしたら、おまえならどうする?」
「助けようとするわ」
「王子に知らせる?」
「ええ」
「僕がそれを望まなかったら?」
青珠はふと眼を上げた。
「あなたが望まないなら──知らせない」
ほら、というように思わせぶりな視線を青珠に投げかけ、ユリウスは人の悪い笑みを浮かべてみせた。
「そういうことだ。だが、黄珠がついているから、滅多なことはないだろう」
「……」
そして彼は、ある方向を指差した。
「一番近い村はこの方角だ。そこで馬を休ませよう。……僕も疲れた」
──夜。
黒耀城内に豪華な続き部屋をあてがわれた王子ユリウスと彼の小さな方士・ディディルは、それぞれの部屋で眠れずに、星を見ていた。
「眼は見えずとも、星の指針は心の眼に捉えられていたはずなのに……」
硝子玉のような翡翠色の眼に星を映して、王子ユリウスは月明かりに仄白く浮かび上がる窓辺にたたずんでいた。
「黒曜公……黒牙の後裔……この城には、死の穢れが満ちている」
黒曜公は緑の石を持っている。
確信は得たものの、彼の捉え所のない飄々たる気配に、ユリウスはかつて感じたことのない不気味な思いを禁じえなかった。
黒曜公の懐に飛び込んだのは間違いだったのか。
ユリウスは、自分が無明の闇にいることを知った。
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2005.4.3.