時は古代、沈黙の時代
ある大陸のある西の涯、
緇海に浮かぶある島から生まれた、これは、物語である──
序章 生贄
カルム島──
緇海の沖に浮かぶ、海神の聖なる島である。
タナトニアの領地ではあるが、この島のみは完全なる自治がしかれ、海神・ネプトゥーヌスに仕える一族の長が、島を統治していた。
大陸の者との交渉を好まず、島の者たちは、めったに大陸に足を運ぶことはない。
大陸とは異なる、独自の文化を持ち、そのほとんどの民が、島を出ることなく一生を終えるのだった。
また、カルムは魔道士の島でもあった。
カルム島に住むカリア氏族の、実に約八割が何らかの形で魔道にたずさわっているという。カルムの魔道士は格段に腕がよいとの評判であった。
そんな、神秘の島・カルム島。
大陸暦九九一年、ある魔道師の家に、一人の男児が誕生した。
その魔道師は狂信者だった。
生まれて九九日目の赤子を、海神・ネプトゥーヌスに贄として捧げた。
我が子と引き換えに、彼は魔道師としての栄光を求めた。
神託は下った。
──さすれば、さらなる血が流れるであろう
託宣を行った巫女たちはそれを凶事の前触れと取り、神託を受けた魔道師は血を流す覚悟があれば己の野望は叶うと取った。
血は流れた。
赤子の額に描かれた生贄の刻印を見た魔道師の妻は怒り、嘆き、激しく夫を責めた。
魔道師は妻を黙らせるため、彼女の心臓に刃を突き立てた。
そして、赤子の死をひたと待つ。
神前に贄とした赤子の生命の灯火が消えるとき、そのときこそ、神が栄光を授け給うと狂信して。
漆黒だった赤子の髪は灰色に変じた。
心あるネプトゥーヌス神殿の者たちは、密かに赤子をかくまった。
神官たちは赤子に“海の露”と名付け、神殿の奥深くで秘密裏に育てた。
大陸暦一〇〇〇年。
さらなる血が流れる。
少年となり、己の生い立ちを知った“海の露”は、母を殺め、己を海神への生贄とした実の父を手にかけた。
すると、大陸全土を嵐が襲った。
大気を、大地を、世界をも震撼させる嵐であった。
神への贄とされた身が父殺しの罪を犯したせいだと畏れた少年は、嵐が九日目を数えた夜、人知れず海へと身を投げた。
その名の通り、海の露と消えるべく。
嵐の夜が十一日目を数え、ようやく大地が静けさを取り戻したとき、人々は夜空に輝く妖霊星の出現を見た。
そのときにはもう、カルム島に少年の姿はなかった。
2022.2.1.