紅葉舞ふ頃

 浮き島の里を取り巻く山々が、赤や黄色に染まっている。
 里そのものをいだくように、聖なる山の季節は巡る。
 里の木々も、山々に誘われるように鮮やかに色づき、時折り強い風が吹けば、美しく彩られた葉をはらはらと散らせていた。
 湧き水もだいぶ冷たく感じるようになった。
 里には湧き水を引いた洗濯場が数ヶ所あり、女たちはそれぞれが自宅に近い場所を利用する。
 その日、胡蝶と佐保が同じ時刻に洗濯場にいた。
「で、伊吹は非番だったから、一緒に山へ茸狩りに行ってきたの」
 紅や橙色の色彩の木立に囲まれ、二人はおしゃべりに興じながら洗濯をしている。
「へえ、茸狩り、いいね」
「夕餉も茸尽くしよ。秋らしいでしょう?」
 洗い終わった洗濯物を盥に移し、佐保がにっこりする。
「いいな。うちも茸尽くしにしたら、八尋も真尋も喜ぶかも。今からあたしも茸狩りに行ってこようかな」
「一人じゃ危ないんじゃない? 八尋に一緒に行ってもらったら?」
「危ないかな? 八尋は忙しいだろうし……最近は真尋も忙しいらしくてさ」
 そんな二人の頭上を鮮やかな朱い羽の鳥が数羽、山から社へ向かって、飛んでいくのが見えた。
真朱まそおたちだ」
「本当ね」
「社に行くのかな」
 そう言って立ち上がった胡蝶が硬く絞った洗濯物を盥に入れていると、がさがさと茂みが音を立て、小さな軽い気配がやってきて、わん!と鳴いた。
「クロじゃないか」
 愛くるしい黒い仔犬が胡蝶の足許にまつわりつく。
「どうした? ひとりで散歩?」
 尻尾を振る仔犬の頭を胡蝶が撫でていると、佐保が首を傾げた。
「クロがここにいちゃ、緋翔が困るんじゃない?」
「どうして?」
「真朱たちは食事のために社へ向かったんでしょう? クロの霊力が目当てじゃないの?」
 妖鳥・真朱の鳥たちは、妖力・霊力の類を主食とする。
「そうか、そうだね。洗濯物を干したら、あたし、クロを社に帰しに行くよ」
「それがいいと思うわ」
 うなずき合った二人は、社の方角へと視線を投げた。

 社の境内は広い。
 祭司の妻の卯木が、竹箒で落ち葉を掃いている。
 ひやりとした風が吹き、空から舞い落ちるように、可憐な朱い鳥たちが、体の長さと同じくらいある尾花のような尾の飾り羽を揺らし、境内の木々や地面に降りてきた。
「おや」
 鳥たちの訪れに、卯木が微笑む。
 真朱たちは口々に啼き声を上げた。
「お腹空いてるのかい?」
 卯木が近くの一羽に声をかけた。
 浮き島の山に棲む真朱の鳥たちは、それぞれが月に一度くらいの割合で、妖力を喰らいにこの社を訪れる。鳥たちの世話をする祭司の緋翔の妖力、または龍神の血を引くクロの霊力が、彼らの主食だった。
 ほどなく、鳥たちの声を聞きつけた緋翔が、社に隣接する屋敷から出てきた。
 白の狩衣をまとい、深緋色の長い髪を丈長でひとつに結っている。
「おや、クロは不在か。では、真朱たちに私の妖力を与えなくてはな」
 緋翔は高く手を伸ばした。
 たちまち、数羽の真朱の鳥たちが、空中から降り注ぐように緋翔の周りに舞い降りる。鳥たちは、そこにたたずむ祭司の周囲で羽ばたきながら滞空した。
 数羽の朱い鳥に囲まれる緋翔の髪がふわりと風になびき、朱の色が重なる。彼の周りに大きな紅葉がいくつもふわふわと舞っているかのようだ。
 鮮やかで神秘的な光景だった。
 箒を手にした卯木が、境内を掃く手を止めて、そんな様を眺めていた。
 一羽、また一羽と、鳥たちが上空へ舞い上がる。
「満足したようだね」
 一人残された緋翔のそばへ卯木が近寄ると、山へ帰る鳥たちを見送りながら、緋翔は妻の肩を抱き寄せた。
「疲れたかい? 少し休む?」
「いや。そうだ、昨日、駿から酒をもらったのだが、一緒にどうだね?」
 卯木は困ったように微笑んだ。
「あたしはやめとくよ。障りがあると大変だし」
「障り?」
 不思議そうに眉を上げる夫の腕に手をかけ、卯木はそっとささやいた。
「たぶん、あたし、身ごもってる」
「……!」
「確かだと思うよ。明日、里の西の産婆のところへ行ってくる」
「卯木──
 緋翔は思わず妻の身体を抱きしめていた。
「ありがとう、卯木。身体を大切にな」
「ああ。でも酌は得意だから、遠慮せずに緋翔は呑んで?」
 甘やかに卯木が微笑む。
 そんな妻の姿が愛しくて、緋翔は彼女の唇にそっと唇を重ねた。
「緋翔みたいな、緋色の髪の子が産まれるかな」
「おまえみたいに、色の白い子かもしれん」
 ささやきを交わし、夫婦は幸せそうに見つめ合った。
 さらさらと山の風が数多の紅葉をさらっていく。
「そろそろ屋敷に入りなさい。境内の掃除は私がやっておく」
「ありがとう。じゃあ、あたしは酒の支度をしているよ」
 やや照れくさそうな笑みを浮かべ、屋敷へ向かった卯木の姿が見えなくなると、緋翔はおもむろに振り返り、大きな椎の木の下の茂みに向かって声をかけた。
「そろそろ出てきなさい。そこにいるのだろう、胡蝶?」
 すると、すぐにがさがさと茂みが動き、恥ずかしそうに頬を紅潮させた胡蝶が姿を見せた。
 クロを腕に抱いている。
「すみません……覗き見するつもりはなかったんだけど……」
「構わんよ。クロを帰しに来てくれたのだな」
 一応、声をかけようとはしたのだが、緋翔の周りを舞う鳥たちの姿に見惚れ、さらには緋翔と卯木の仲睦まじさに中てられてしまった。
 胡蝶はばつが悪そうにうつむき、クロを地面に降ろすと、改めて緋翔を見上げた。
「卯木さん、とても嬉しそうでしたね。おめでとうございます、祭司様」
「ありがとう、胡蝶。だが、くれぐれも、卯木から伝えるまで胡蝶は何も知らないことにしてくれ」
「はい、勿論です」
 幸せな空気が伝わるのか、クロも大きく尻尾を振り、緋翔にじゃれついた。
 緋翔は身をかがめてクロの背を撫でてやり、ふと思い出したように言った。
「ところで、胡蝶の恋の進展はどうだね」
「祭司様、意地悪ですね。あたしに浮いた話なんてないって判ってるくせに」
 緋翔は軽く笑い声を立てた。
「胡蝶から仕掛ければいいではないか。傭兵見習いの少年たちの中にも、胡蝶に憧れている子がいるようだしな」
 照れたように胡蝶が両手を振る。
「あれはからかってるだけですよ。他に女の子がいないから」
「八尋や駿も、胡蝶を好いているだろう?」
「二人はいろいろ気遣ってくれるけど……あたしのことは、妹みたいに思ってるんじゃないかな」
 それでも、幾分恥ずかしげに視線を逸らす胡蝶を見て、緋翔は微笑ましそうに目を細めた。
「自然にしていれば、きっといいほうに転ぶよ」
 境内の掃き掃除を始めた緋翔に頭を下げ、クロに手を振って、胡蝶は帰路についた。
 緋翔と卯木、伊吹と佐保。それぞれ憧れる夫婦の形ではあるけれど、今の自分自身だって、充分すぎるほど幸せであることを胡蝶は思った。
 八尋と真尋と三人で暮らす毎日は平和で満ち足りたものだ。
 許されるなら、ずっとこのままでよかった。
(真尋が独り立ちして、八尋がお嫁さんもらったら、あたしも出ていかなくちゃならないだろうけど)
 それまでは、大好きな二人と平和に暮らしていたい。
 帰宅すると、玄関でばったり八尋に出くわした。
 彼は背負籠を背負っている。
「おかえり、胡蝶」
「どこ行くの?」
「ちょっと山へ茸狩りに。伊吹が夕餉の膳が茸尽くしだったって自慢するからさ、張り合おうと思って」
「ふふ、それ、あたしも佐保から聞いた。あたしも茸狩りに行こうかって思ってたところ」
「じゃあ、一緒に行こうか。うちも茸尽くしにしよう」
「うん」
 胡蝶は嬉しそうに破顔した。
 やはり、八尋といると、こんなに楽しい。
(いっそ、八尋があたしのこと、もらってくれたらいいのに)
 そんなことを考えてしまい、胡蝶は一人で赤面した。
「胡蝶? どうした?」
「ううん、何でもない」
 赤や黄色に彩られた山へ向かい、八尋と胡蝶は並んで歩く。
 彼女がそっと八尋の顔を窺い見ると、視線に気づいた彼が胡蝶を見遣り、やさしく微笑む。
 思わずどぎまぎする娘の頬が、たちまち紅葉のように美しく染まった。

〔了〕

2023.1.5.