追われし人
2.
複数の騒々しい足音は、ユリウスたちの後方、つまりシュクナ山の頂上のほうから近づいてきた。
重装備ではないが、いずれも武装をした兵士である。
彼らのただならぬ様子に気づき、ユリウスは心持ち眉をひそめた。
「そこな巡礼の者」
遭遇した兵士たちの隊長らしき中年の男が、待ち構えていたようにたたずむユリウスとウィーリヤの姿を認めて、言った。
「何でしょう」
軍隊調の威圧的な男に対し、ユリウスはいたって鷹揚に答える。
「後ろの娘をこれへ渡せ。その娘に用があるのだ」
ユリウスがウィーリヤを振り返った。
「駄目よ、渡さないで!」
ユリウスの視線が戻された。穏やかに隊長を見た。
「嫌だそうです」
ゆっくりと言った。
「その娘は祖国を裏切った謀叛人だ。その娘の存在ひとつに、我が大君様と我が王国の命運がかかっている。さあ、事情が解ったなら、素直に娘をよこすのだ」
「違うわ! きっと、わたしをどこかへ売り飛ばす気よ」
蒼ざめ、怯えていたが、むしろ激しい口調でウィーリヤは叫んだ。
「隊長殿、この人の言い分もあります。とにかく、話し合いましょう」
「黙れ、無礼者! たかが巡礼の分際で、我々に意見するか」
「そんなつもりは」
「構わん、娘を引っ捕らえよ! 多少の犠牲は致し方ない。邪魔をするのであれば、その若造も斬り捨てい!」
ユリウスの表情がわずかに曇った。
「ひどいことを言う人だな。おまえが僕を殺めるつもりなら、それだけのお返しをさせてもらうよ。それが定めなら、僕はおまえたちの生命を奪うことも厭わない」
隊長の命に、十二人の兵士が一斉に腰の剣を抜いた。
「おい、その綺麗な顔に傷をつけたくなかったら、おとなしく娘を渡すんだ」
「おとなしく従ったほうが身のためだぞ、坊や」
剣を構えた兵士たちは、にやにやと嘲笑し、ユリウスに迫ってきた。
当のウィーリヤは顔面蒼白になって震えていた。
自らの招いた事態が無関係な巡礼の若者の生命までをも奪おうとしている。
どうすればいいのか。
自分がおとなしく兵士たちに捕まれば、彼らはユリウスを見逃してくれるだろうか。
決心がつかないままユリウスを見上げると、彼は、ウィーリヤに下がっていろと手で合図した。
「そこの大樹の陰に隠れて。早く。──青珠、ウィーリヤを護れ」
ウィーリヤが言われた通りに身を隠すと、ユリウスはおもむろに、漆黒の外套の下からすらりと細身の剣を抜き放った。
「全ては神の御意志による。生命を絶たれても、僕を恨むな」
「小僧っ子が、生意気な──!」
一人の兵士が上段に剣を構え、ユリウスに襲いかかった。が、飛燕のように身をひねったユリウスにあっさりとかわされ、逆に頚動脈を断ち切られた。
「ぐ、ぐああっ……!」
「こいつ──!」
「もう、容赦せんぞ」
兵士たちの怒気を含んだ声に囲まれて、ユリウスは剣を構えなおした。厳しい表情が息を呑むほど美しい。
流れるようにしなやかな動きで、ユリウスは剣をふるった。まるで剣舞を見ているようだ。その刃に、たちまち二人の生命が奪われた。
「う──」
兵士たちは躊躇った。
憤怒で蒼くなった隊長が歯ぎしりをした。
まさか、この玲瓏たる美貌の、やさしげな姿をした巡礼者が、これほどまでに剣を使うなどとは思ってもみなかったのであろう。
「若造は七人で殺れ! 残りは娘を捕らえるのだ!」
隊長が叫んだ。
一瞬、顔を見合わせた兵士たちが二手に分かれた。
七人がユリウス一人を取り囲み、残る三人が剣を収めてウィーリヤのほうを見た。
彼女を拉致しようと迫ってくる。
大樹の幹にすがり付いたまま、ウィーリヤは恐怖に大きく眼を開き、身を硬くした。
逃げなければと思ったが、足がすくんで動けなかった。
「さあ、手間をかけさせるな」
「おとなしくしていれば、大君様も生命まではお取りにならんだろうよ」
だが、三人の兵士がある一定の距離までウィーリヤに近づいたとき、彼らは一斉に意識を失い、地に倒れ伏したのだ。
「な、なんだ、おまえたち? どうしたのだ!」
その異様な様を目撃した隊長が驚愕の叫びを上げた。
一方、ウィーリヤ自身も何が起こったのか、わけが解らなかった。
彼女は自らの身体を支える力もなくなり、大樹にしがみついたまま、へなへなとその場にへたりこんだ。
その間にも、ユリウスはさらに三人を血祭りにあげていた。
「ええい、ひけっ!」
とうとう、隊長は生き残った部下に退却を命じた。
未だ気を失っている三人は別の兵士たちに担がれ、思いがけない反撃を受けた彼らは慌ただしく引き上げていった。
ユリウスと、五つの屍体が残された。
「ご苦労、青珠」
あるかなきかのつぶやきがユリウスの唇から洩れた。
ユリウスは逃げる兵士たちを見送っていたが、追おうとはせず、剣を振って刀刃に付いた血糊を払い落とした。そして、地に転がった屍体に瞳を向けた。
「……葬りもしないのか」
彼は埋葬こそしなかったが、道のわきに五つの遺骸を並べ、その場にひざまずいて死者への祈りを捧げた。
それから初めて、ウィーリヤを顧みた。
「大丈夫?」
樹の根元に座り込んだままのウィーリヤは、そろそろと顔を上げてユリウスを見た。
驚いたことに、若い巡礼者は返り血を浴びていなければ息も乱していない。さすがに、ウィーリヤも驚きの表情を隠せなかった。
「ユリウス、ユリウス! あなたって、見かけによらず、すごいのね。驚いたわ」
ユリウスは静かに口許に笑みを浮かべた。
「巡礼とはいえ、この物騒な世を旅するんだから。剣術は必須だよ」
そう言うと、何事もなかったかのように踵を返して歩き出した。
「待って、ユリウス。わたし、力が抜けて……」
振り向いたユリウスは足を止め、斜めに彼女を顧みた。
彼はふらつくウィーリヤに手を貸そうとはしなかったが、彼女はどうにか自力で立ち上がることができた。
「……怖かった。でも、大丈夫よ。あなたがいるんだもの」
一気に緊張の解けたウィーリヤは泣き出しそうに笑い、ふと、真顔になって思い出したように付け加えた。
「さっきの……突然、兵士が倒れてしまったあれ……何だったのかしら?」
「眠りの結界だよ。ある距離まであなたに近づくと、眠りに支配されるよう、術がかけてあった」
「術ですって──?」
呆気にとられて、ウィーリヤが叫んだ。
「術って、魔道の術? あなた、魔術も使えるの?」
だが、ユリウスはうるさそうに首を振っただけだった。
「あなたの言ではないが、ゆっくり休んでいる場合ではなさそうだ。歩けるようになるまで待つ。だが、急ごう。長居は無用だ」
陽が暮れてきた。
シュクナ山を降りきるまで、あと半日はかかる。今夜は野宿である。
「そろそろ休む?」
ウィーリヤがうなずくと、ユリウスは道とは名ばかりの山道から逸れ、林の中へ下りていこうとした。
「ユリウス、どこへ行くの?」
「ここを少し下りたところに泉がある。そこで休もう」
「泉? 以前にも来たことが?」
「初めてだよ」
「じゃあ、なぜ……」
言いかけて、ウィーリヤはやめた。
彼は追っ手が近づいてきたこともいち早く察知したではないか。彼なら泉の場所くらいお見通しだろう。
重い足をひきずって、ウィーリヤはユリウスのそばへ下りてきた。
少し歩くと、ユリウスの言葉の通り、そう遠くない場所に泉が湧いていた。
適当な場所を占め、ユリウスは器用に火を起こして、携帯食で簡単な夕食を作った。
「どうぞ」
「ありがとう」
火のそばに座り、簡素な夕食をとりながら、ウィーリヤは心配そうにつぶやいた。
「奴ら、今夜、襲ってくるかしら」
「僕が一晩中起きているよ」
「いいえ、わたしが起きているわ。あなたばかりに迷惑はかけられないわ」
「あなたは疲れきっている。明日のために眠ったほうがいい。でないと、奴らが来たときには足手まといになる」
ユリウスの口調はそっけなかったが、実際、彼女はくたくただったので、彼の言葉はありがたかった。