もう一人のユリウス

4.

 賊は異国人の傭兵らしい、ということだった。
 金で雇われたのだろう。
 翌日、レキアテル国王・ルクィントスはユリウス王子を執務室に呼び、襲撃の経緯を聞いた。
「賊は五人。四人が斬られ、一人は毒を飲み、死んでいたそうだ。訓練された兵のようだな。全員が自害用の毒を所持していたという」
「私とアウリイの従者は……」
「三人とも斬られて死んでいた」
「……そうですか。彼らが犠牲となって、私たちを逃がしてくれたのですね」
 ゆっくりと歩を進め、ユリウスは補佐官の席に腰を下ろした。
 人払いをし、執務室には王とユリウスの二人きり。国王の側近たちは別室で待機している。
「アウリイの様子はいかがでしょうか」
「今朝は会っておらんのか」
「朝食のあと、アウリイの寝室へ行きましたが、正妃様が会わせてくださいませんでした」
「あれにも困ったものだ」
「いえ、今回は正妃様のご心配も尤もです。狙われたのは私でしたから」
 国王はじっとユリウスを見た。
「で、そなたには心当たりがあるかな?」
 うつむいたユリウスの睫毛がわずかに瞬く。
「もし、他国の刺客であれば」
 と、言葉を選んで彼は言った。
「第一王子とはいえ、正式な王太子ではない私を狙う理由は何でしょう。齢十九の第一王子の立太子の儀がまだであるということは、国王は別の王子を王太子に推していると、他国の者ならそう考えるはずです」
「うむ」
「レキアテル王家を混乱させるのが目的なら、私が王太子になってから暗殺するほうが効果的ではないでしょうか。ですが、それ以前に、他国の刺客が、誰かの手引きなしにこの王宮深くに侵入できるとは思えません」
「では、手引きした者がいると?」
「はい」
「他国の窺見が城内に潜んでいると、そなたは思うか?」
 感情をはさむことなく、王はあくまでも冷静に言葉を放つ。
 ユリウスは少し考えた。
「いいえ。仮に窺見がいれば、王位継承の争いに目を向けぬはずがありません」
 ルクィントスは苦々しく眉をひそめた。
 ユリウスに核心をつかれたからだ。
「各王子と妃殿下たちにさらなる亀裂が入るのを待つでしょう。それゆえ、まず、レキアテルは王家の結束を盤石にしなければならぬと思います」
 王は気だるげにため息をついた。
 大陸の東の大国・レキアテルが抱える、それが最大にして唯一の危うさなのだ。
「賊は本当に、そなたとともにアウリイも殺そうとしたのだな?」
 ユリウスははっきりとうなずいた。
 彼のサークレットに象嵌された黄色い石が光を撥ねる。
「あの森は、私が一人でよく遠乗りに行く場所です。刺客はそれを知って、幾日か待ち伏せをしたのでしょう」
「アウリイは幾ばくのことも覚えておらぬ。いきなり矢が耳元をかすめ、賊に襲われ落馬し、そこをそなたに助けられたと言っていた」
「はい。矢は森の中から射かけられました。私は眼が見えない代わりに耳がよく聞こえます。第二王子も殺ってしまえと、確かに賊の声らしきものを聞きました」
 刺客を差し向けたのが、妃の誰かだと王が考えているのが、ユリウスにもよく解った。
 そして、刺客が本気でアウリイも殺そうとしたのなら、それはアウリイの母である正妃ではないことになる。
 第二妃か、第三妃。
 あるいはその二人の妃が手を組んだか。
 どちらにせよ、ユリウス王子が一人になる確率の高い城内の広大な森で、刺客たちが王子を待ち伏せできるよう、誰かが手を回していたのは確かだろう。
 国王は少しの間沈黙した。
 ユリウスは精霊の声に耳を澄ませる。
 この執務室の中は静かすぎた。
 そして大気もまた、静謐で重い。
「ユリウス、立太子の儀についてだが……」
「父上」
 おもむろに話し出そうとしたルクィントスの言葉を、ユリウスは遮った。
「私が前々から考えていたことをお話ししたく存じます。どうか、お許しください」
──申せ」
 ルクィントスはひっそりと補佐官の椅子に座る王子の姿をじっと見つめた。
 細い亜麻色の髪。伏せられた翡翠色の瞳。清楚な面立ち。
 彼の亡き母にそっくりだと──
「まず、私を第一王子という立場から外し、アウリイが十六か十七になったとき、アウリイを正式に王太子にしてください」
「ユリウス。余は次期国王の座はそなたにと考えておる」
 ユリウスは静かに首を横に振った。
「私は養子です。正確には父上の甥。王宮では誰もが知っていることです」
「そなたを王太子にと余が望んでいることも、誰もが知っておる。アウリイは優秀だが、そなたに比べると、王座は少し荷が重い」
「正妃様は名家の出で、文武に優れた御兄弟がおられます。いずれも要職に就いておられる。伯父君方が後見となれば、アウリイは安心して王座に就けます」
 ルクィントスは執務用の卓をこつこつと指先で神経質に叩いた。
「で、そなたはどうする?」
「このメディオラから離れた離宮にでもお移しください。理由は何でもいい。病弱だからでも、失明したからでも。私が王宮内にいれば、必ず政が乱れます」
「ユリウス」
「第一王子は病弱のため、第二王子が王太子となる。そう国民に布令を出してください」
「ユリウス──!」
 激情に駆られ、ルクィントスは卓を両手で叩き、椅子から立ち上がった。
 そして、我に返り、再びそこに腰を下ろす。
「なぜだ。余はそなたを我が子同然に……」
「父上は十九年間、私を実の子として育ててくださいました。その御恩に報いるためです」
「水臭い言い方をするな。実の親子ではなくても血はつながっているのだ。そなたは余のただ一人の妹の忘れ形見……」
「……私には、生まれたときから父がいません」
「だからこそ、余が本当の父親としてそなたを──
 ユリウスは王の視線を避けるように、斜めに顔をうつむかせた。
「それが王宮内の混乱の元なのです」
 その言葉にルクィントスは唖然とした。
 ユリウスは何を言おうとしているのか。
 王は十六歳でこの世を去った自らの妹──ユリウスの母の面影を、十九歳の彼に見た。
「父上には心から感謝しています。だからこそ、私が“知っている”ということを、お伝えしなければと思ったのです」
 ルクィントスは言葉を失った。
 それは王子たち──とりわけ、ユリウスには知られたくない事柄であった。
「幼い頃、私の父は、私が生まれる前に事故で亡くなったと教えられました。でも本当は、私の実の父親が誰なのかは今も判らないまま。そうですね?」
「誰から聞いた、ユリウス! アネスか、それとも──
「誰からも聞いてはいません。噂は自然と耳に入ります」
 ユリウスは知っていた。
 二十年近く前の、王と妹姫の醜聞を。
 それは王宮では公然の秘密だった。
「ユリウス。誤解するな。余はエリーザを……」
 王の脳裏に、十日間吹き荒れた、あの嵐の夜がよみがえる。
 エリーザ。
 純真でおとなしい、七つ年下の彼の妹。
 内気なエリーザ姫は十六で、結婚どころか恋も知らなかったはずだ。
「お……エリーザ……」
 ルクィントスは恐ろしそうに声を洩らし、両手に顔をうずめた。
 あの妖霊星の輝く夜、ユリウスは産まれた。
 泣いていたのは、赤子か、エリーザか。
「解っています」
 静かな声でユリウスは言った。
「父上は私の母を、こよなく愛してくださった。だからこそ、未婚の姫が王子を産んだという醜聞を隠すため、私を国王と正妃の間の子だと国民に発表なさった」
「……なぜだ。なぜ、そなたはそのようなつらい過去を掘り起こそうとする?」
 両手に顔をうずめたまま、絞り出すように言うルクィントスの声音は、ひどく苦しそうだった。
 それに対し、ユリウスの声はあくまでも静かだ。
「母・エリーザは病死と教えられましたが、本当は自ら生命を絶ったのでしょう?」
「そんなことまで……」
「父上は、母の生命を救えなかったことで、今もご自分をお責めになっているのではありませんか? けれど、私をここまで育ててくださったのです。亡き母にも私にも、もう充分すぎるほど心を砕いていただきました」
 静かな執務室に、重い空気が沈殿する。
 その中で穏やかなユリウスの声は、そよ風のようにやわらかく王の耳に響いた。
「今は、母・エリーザの兄君としてではなく、レキアテル王国の君主として、ご自分の国と、王家をお守りになるべきです」
「エリーザ……哀れな我が妹……」
「母を憐れみ、私を母の代わりに実子として育てようとしてくださったこと、よく解っているつもりです。でも、だからこそ」
 ユリウスは膝の上で拳を握り締めた
「私に父はいない。たとえ義理でも、ルクィントス国王が父であってはいけない。そうでなければ、レキアテル王家は崩壊します」
 ルクィントスははっとなった。
 ユリウスの真意がようやく解ったのだ。

 二十年前の王家の醜聞は、未婚の姫が身ごもったということだけではなかった。
 ルクィントスとエリーザは二人きりの兄妹で、前国王は早くに崩御している。
 若くして王位に就いたルクィントスは、ときには父親のように、年の離れたエリーザ姫を溺愛していた。ゆえに、エリーザ姫の懐妊が知れたとき、箝口令をしいた上で、王はその父親が誰であるのかを、やっきになって探した。
 姫に秘密の恋人がいるのか、出入りの商人の戯れの恋に騙されたか、それとも、家臣の誰かが姫に狼藉を働いたのか。
 エリーザ自身は、相手などいないとただ泣くばかりで、ルクィントスは姫が相手の男をかばっているのだと考えた。だから、時間をかけて聞き出そうとした。
 エリーザ姫にとめられ、実行はしなかったが、王は近習のそれらしき者たちを拷問してまで赤子の父親をつきとめようとしたのだ。
 だが、結局、ついに姫の相手が判明することはなかった。
 姫は次第に心を病んでいき、赤子を産み落とすと、自ら川へ身を投げた。
 国王と王妹の母である王太后は、悲嘆のあまり、姫のあとを追って入水した。
 残されたのは、姫の生んだユリウス王子ただ一人──
 ルクィントスは妹姫の残した赤子を彼女の身代わりとして愛した。
 そして、エリーザ姫と王太后の死を病死とし、すでに国王の正妃であったアネスと自身の実子として、ユリウス王子の誕生を国民に発表した。
 最初はアネス正妃も王に同情した。
 ユリウスを我が子として育てることに同意もした。
 けれど、実の息子・アウリイが生まれ、それでもルクィントスが養子であるユリウスを王位に就けることにこだわったため、妃は疑心暗鬼に陥った。
 ユリウス王子の父親は、なぜ見つからなかったのか。
 なぜ、エリーザ姫は赤子の父の名を明かすことをそれほど拒んだのか。
 もしかして、ユリウスの父親は、ルクィントスその人なのではないだろうか、と。
 そういう噂は最初からあった。
 ルクィントス王のエリーザ姫への溺愛ぶりが、その噂に拍車をかけた。
 若き王は、妹姫に兄妹以上の愛情を抱いていたのではないだろうか。ユリウス王子は、実は兄と妹の間に生まれた罪の子なのではないだろうかと。
 国王とその妹姫の王家の醜聞は、王宮より外へ洩れることはなかった。
 しかし王宮では、その噂はまことしやかにささやかれ、公然の秘密となったのだ。

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2018.7.23.