黒曜公

2.

 金髪狩り、といわれていた。
 黒曜公国で、ひそやかに、そういう噂が流れていた。──

 黒曜公国──それは、突如、大陸南西部に興った新興国だった。
 その国を築いた人物は、通常“黒曜公”と呼ばれていたが、その出自にいたるまでは謎であった。
 小王国三国を滅ぼし、瞬く間に自らを統治者とする公国を築き上げたのは、二十歳そこそこの若者であったという。
 それは大陸暦一〇一七年の出来事であった。
 若者は黒曜公と名乗り、黒曜公国の都に定めた“黒い都”に豪奢な城を建造し、これを居城とした。
 彼にまつわる疑問は数多ある。
 なぜ、その若さであっという間に一国の主となることができたのか。
 なぜ、短い工期でそこまで豪奢な城を築くことが可能だったのか。
 生まれは?
 出身国は?
 歳は?
 経歴は?
 だが、その治政は安定していた。
 そんな、幾重にも謎に包まれた黒曜公は、わずかな期間で着々と公国の基盤を固めてきたが、名君とささやかれるその評判にいくばくかの翳を落としているのが、金髪狩りの噂であった。
 いつの頃からであったか。
 城下をはじめ、国内の各地から、若い金髪の娘ばかりが近衛兵によって城に召しだされるようになった。
 はじめは妃候補かと見なされていたそれも、いつまで経っても正妃の発表がなされないことで、次第に城下の民の昏い不安の種になった。
 娘たちは、何の目的で城に連れ去られたのか。
 妃候補でないとしたら?
 もう、幾百人の金髪の娘が城の中へと消えていったことだろう。
 年頃の娘を持つ親たちは、こぞって娘の金髪を別の色に染めた。──金髪でなければ、徴集されることはないからだ。
 人々は、いつしか声を潜めてささやきあうようになった。
 黒曜公の居城・黒耀城の内部には広大無辺な後宮があり、そこには数百人の金髪の美女が黒曜公一人のために集められているのだと。
 大陸暦一〇一九年の春の終わり──そんな情勢の中、リリアは黒曜公国へと送り込まれたのだ。
 黒曜公国内の、それも黒い都の民しか知らない“金髪狩り”の事実をどのようにしてガデライーデが知ったのか、それは謎であった。

 黒い都にたどり着いたリリアが最初に訪れた場所は、町外れのとある酒場だった。
 そこで、彼女は踊り子としての契約を結んだのだ。
 もといた街の妓館でも、軽やかさと優雅さが際立つリリアの舞は、稀代の舞姫との呼び声も高く、人気が高かった。
 リリアが目当ての常連客も数多くいた。
 そんな彼女の舞がその酒場の看板となるのに、それほど日数はかからなかった。
 舞を見た誰もがリリアを褒め称え、酒場を訪れる男たちはリリアの気を惹くことに余念がなかった。
 客の誰しもがリリアとの会話を求め、リリアの微笑みを求めた。
 そのためにリリアのもとには次々と異なる男たちからの贈り物が途切れることがなく、酒場にいる他の女たち──踊り子や歌姫、春をひさぐ女たちである──からの妬みを買うほどだった。
 この都でリリアが客を取ることはなかったが、この時代、踊り子の地位は低く、大衆の娯楽としての歌や舞は遊女の副業としての認識が強かった。したがって、彼女もやはり妓女の一人として見られていただろうことは確かだ。
 場末の酒場でひときわ美しい踊り子が素晴らしい舞を舞うとの評判が、黒い都の男たちの間を飛び交うようになった頃、ひと目で兵士と判る若い男が数名、リリアを訪ねてやってきた。
 男たちは城の近衛兵であった。
「おまえが、今、評判の踊り子か」
 へらへらとへつらう店の主人を無視し、兵士は直接リリアに話しかけた。仲間同士顔を見合わせ、うなずきあう。
「なるほど、美しい。噂通りだ」
 異国風の羅衣をまとった彼女は、まことに美しく見えた。
「兵隊さんが、あたしに何のご用ですの?」
 営業用のやわらかな笑みを湛え、リリアは兵士たちを見廻した。
「お酒を飲みにいらしたのではありませんわね?」
 焦らすようににっこりと笑うリリア。兵士たちの中で最も年長と思われる男が、居丈高に咳払いをした。
「おまえに黒耀城へ来てもらいたい」
「黒耀城……?」
「黒曜公の住まわれる城だ」
 どきん、とリリアの胸が高鳴った。
 ガデライーデの言った通り、向こうから黒曜公の居城へ招いてくれた。
 なぜ、こんなにすんなりと事が運ぶのか、金髪狩りの事実を知らない彼女には不思議だった。
「黒曜公のいらっしゃるお城……? でも、酒場の踊り子に過ぎないあたしなんかが参るようなところでは──
「そのようなことはおまえが心配せずともよい。とにかく来ればよいのだ」
 兵士は酒場の主人にその場で金子を渡した。リリアを雇い入れたその日から、いずれ金髪狩りの兵士たちが来るだろうことを予想していた主人は、渡された袋が思いの外ずっしりと重かったため、満足した様子であった。
 そうして、そのまま、その足で、リリアは兵士たちに連れられ、黒曜公の居城──黒耀城の門をくぐることになった。
 季節は夏を迎えていた。

 黒耀城は、今までリリアが見たこともないほど、巨大な城に見えた。
 美しく優雅な建物ではあったが、それは堅固な城塞だった。──戦争によって、一代で一国を築き上げた者の住むとりでであった。
 年長の兵士に連れられ、数え切れないほどの回廊を曲がり、階段を上り、迷路のような城の内部を歩き廻ったのち、リリアはある部屋に通された。
「ここからは侍女に従えばよい」
 そう言い残し、リリアを案内してきた兵士は退出した。
 リリアにとって、そこは迷宮のように巨大で豪華な場所のように感じられた。ただ、驚きである。
 夢を見ているのかと思った。
「お待たせいたしました」
 はっとして振り向くと、金髪を束ねた若い娘が、部屋の入り口に立っていた。
「湯浴みをどうぞ。黒曜公の御前に出る前に、身を清めてください」
 卑しい者に対する貴人の態度はどこでも同じなのだと感じ、リリアは内心、苦笑を洩らした。
「あたし、リリアと申します。あなたは黒曜公の侍女なのですか?」
 娘には表情がなかった。
「わたしは公が命じられるままに、公のお望みになることをするだけです」
 金髪の侍女の手によって、リリアは冬将軍に対面したあの日と同じく、湯浴みをさせられ、酒場風の化粧を落とされた。
 彼女のために、美しい夏の薄物が用意されていた。
 その衣裳に着替え、鏡に映ったリリアの姿は、彼女自身、これがあたしなのかしらと思わず見入ってしまうほど洗練され、まるでどこかの令嬢のようだった。
 化粧はわずかに、彼女のそのままの美しさを損なわない程度にとどめてある。
「公は一刻も早く、あなたをご覧になりたいそうです。ちょうど晩餐の時刻ですが、構わないでしょう。あなたを公のお部屋にお連れします」

 金髪の侍女に導かれ、リリアは黒曜公がいつも食事を取るという部屋の扉の前まで連れてこられた。
「いいですか。黒曜公は気難しいお方です。わたしはこの部屋へ入れませんので、この中へはあなた一人で入ってください」
 リリアはやや怖気づいたような心持ちで、侍女にすがるような目を向けた。
「そんなに気難しい方に、あたし一人でお会いしなければならないんですか?」
「初対面なのですから、ご挨拶だけですむでしょう」
 侍女は淡々とそれだけ言うと、一礼してからその場を立ち去った。
 こんなところに取り残されてしまうのか?
 一人きりで──
 リリアは心細さでいっぱいだったが、やがて、勇気を奮い起こして恐る恐るその部屋の扉をノックした。
──誰だ?」
「リリアと申します。本日、ここへ参るように申し渡された、卑しい踊り子です」
 扉の向こうで人の気配が動いた。
 白い都の元首は白ずくめの衣裳で現れたことを思い出し、黒い都の君主は黒ずくめの衣に身を包んで現れるのかと、一瞬、期待のようなものを抱いたリリアであったが、中から扉を開けた人物は、いたって尋常な服装だった。
「……黒曜公でいらっしゃいますか」
 一応、確認の意味でリリアが問いかけたとき、その人物は愕然とリリアの顔を見つめていた。まるで、驚愕のために口が利けなくなったように。
「……ユリウス……?」
 そのあまりの驚きように、対するリリアのほうも呆然とする。
「ユリウス、おまえなのか……?」

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2005.2.13.