黒曜公

4.

 いつしか夏も終わろうとしていた。
 涼しげな露台に置かれた寝椅子の上で、黒曜公セラフィムは各地の情勢を探らせていた窺見からの報告を聞いていた。
「クーデターだ」
 報告を終えた窺見が下がり、入れ替わりにやってきた黒髪の小姓に向かって、セラフィムは言葉を投げた。
「ヴァントラ国王が第一王子に暗殺された」
「ヴァントラ──セイル地方の山間の王国ですね」
「うむ。隣国ドールと王子が手を結んだらしい」
「それはそれは」
 黒髪の小姓──クロロスの話し方にはどこか人を食ったようなところがあった。言葉遣いは丁寧ではあるが、その口調は主人に対するものではない。
 だが、セラフィムはそんな小姓の態度はいささかも気にならないようだった。
「しかし、それらの動きは取るに足らん。今、最も警戒すべき相手は白い都の冬将軍。そして、彼の率いる六花りっか同盟だ」
「御意」
「タナトニアやレキアテルの動静にも気を配らねばならないが、今すぐどう動くという気配はない。恐ろしいのは“冬”だ。奴の動きだけはおれにも読めん」
 クロロスは硝子の盆に載せた硝子の酒器と酒盃を、セラフィムの横たわる寝椅子の傍らの小さな卓子の上に置きながら、
「冬将軍には“魔女”がついているそうですね」
 とだけ言った。
「“白い都の冬の魔女”──か。その魔女、おまえは人間だと思うか?」
「さあ……どうでしょうか。“朱夏”のような人種が、そう何人も存在するとは思えませんが」
「ふん。どちらでもいい。おれにはおまえがついている」
 クロロスの人形のような整った顔を妖しい笑みがかすめた。
「ですが、セラフィム様。いつ、“冬”の間諜が紛れ込むか知れません。金髪狩りはもうお控えください」
「ユリアが手に入った。もう、彼の面影を求める必要はない」
「そのユリアが、“冬”の手先だという可能性は?」
 セラフィムは笑った。
「あれは他愛のないただの女だ。何も気づいてはいない。これからも気づくことはないだろう」
「なぜ、それほどまでにユリウスの面影を求めるのです。彼にあのような仕打ちを受けながら」
 硝子の酒盃に酒を注ぎ、セラフィムはゆっくりと唇をつけた。
「おれは今もユリウスを愛しているのだ」
「そう、よく似た女に“ユリア”という名をつけるほどにね」
 クロロスははっきりと非難の眼差しで主人を見たが、セラフィムは軽く受け流した。
「それより、おまえだ。おまえはなぜおれに仕えてくれる? なぜ、自らの意思でおれを助けたりした?」
「あなたが、黒牙帝の正統な血を継ぐ者だからです」
 セラフィムはわずかに眼を細めて傍らの小姓に視線を流した。
「おれはどこの馬の骨とも知れない流れ者だぞ?」
 クロロスは眼を閉じて静かに首を横に振った。
「あなた自身、どこかで自覚しておられるはずです。神代の四魔神の一人──セイリウの血が身体の中に流れていることを」

 政務が一段落ついたとき、人払いをした冬将軍は、身辺に人の気配がないことを確認してから、地下へ下りる階段をゆっくりと踏みしめるようにして下りていった。
 地下への階段の入り口は隠し扉で覆われている。
 彼の側近でさえ誰も知ることのない、そこは、冬将軍だけの秘密の部屋へと続く階段であった。
 ──否、一人だけ、例外がいる。
 その部屋の主だ。
 白い都の冬の魔女──
「ガデライーデ」
 地下室の部屋の扉を開けると同時に、冬将軍は部屋の主の名を呼んだ。
「例の黄色い石の持ち主──王族の血をひく盲人が判ったぞ」
 室内に無数に灯された蝋燭が幾重にも揺らめく影を作っており、なんとも幻想的な空間を形成していた。
 狭い部屋の中央には粗末な木の卓子、その上には大きな水晶玉が置かれている。
 ここは、ガデライーデの占いのための部屋であった。
 ガデライーデは冬将軍の訪れに大儀そうに立ち上がり、
「おお。……して、それは?」
「レキアテル王国の第一王子が盲目だそうだ」
「レキアテルの? わたしとしたことが、寡聞にして存じませなんだ」
「私も知らなかった。おそらく、王位継承などに支障があって、内密にされていたのだろう」
「レキアテルの第一王子──確か、名をユリウスと申されましたな」
 冬将軍はうなずいた。
「そのユリウス王子だ。しかし、残念ながら肝心の王子は行方不明らしい」
「行方不明?」
「ある夜、突然、王宮から姿を消したそうだ」
「なんと。黄色い石を持って、ですかな」
「当然だろう?」
 苛々とした冬将軍の様子に動ずることなく、ガデライーデは、部屋にひとつしかない木の椅子に座った。
「その王子の行方を、わたしに占ってほしいのでございますな?」
 含みを持たせた声音だが、面紗と仮面で顔を隠している“魔女”の表情を窺い知る術はない。
「ですが、少し時間がかかりましょう」
「承知している。ところで、リリアから何か連絡は来たか?」
「いえ、これといった知らせは今のところ、まだ──
「あの女、逃げたのではあるまいな?」
「いえ、それはありませぬ。信頼のおける窺見を数名、黒い都に送り込んであります。その者たちから報告があり、計画通り、リリアが黒耀城に潜入したところまでは確認済みでございます」
「ふん。潜入したはいいが、手も足も出ぬか」
「そう簡単にまいるものではございませぬ。大切な宝珠のこと、黒曜公ほどの人物がそうそう人目につく場所に保管しているとも思えませぬ」
 冬将軍はふんと鼻を鳴らした。
「まあよい。もう少し様子を見よう」
「ところで、我が君様。ユリウス王子については、卜占以外に何か策を講じておられますのか?」
 室内をゆっくり歩いていた冬将軍は面倒臭そうにガデライーデを顧みた。
「密偵にユリウス王子の特徴を伝え、大陸各地に散らばせた。主要街道の要所は押さえてある」
「王子の特徴──
「髪は亜麻色。眼は緑。歳が十九の細身の青年。眼が見えぬというのに、驚くほど勘がいいそうだ」
 ガデライーデは仮面の奥でため息をついた。
「やれやれ。果たして、それだけの情報で王子を見つけられるか否か……」
「ガデライーデよ。おまえは私に喧嘩を売るつもりか?」
「滅相もございません、我が君様」
 椅子から立ち上がり、大仰に身をかがめてお辞儀をする占い師の姿に、冬将軍は舌打ちでもしたい気分だった。
 ガデライーデが指摘したことは、彼自身も充分に承知するところだったからだ。
「では、ガデライーデ、引き続きよろしく頼む」
 これ以上の長居は無用とばかり、冬将軍は扉の把手に手を掛けた。これ以上、痛いところをつかれてはかなわない。
 冬将軍の白衣の背を、静かな声が追いかけた。
「青い石の持ち主についても、せめてそれくらいの情報があればと存じます」
「それはおまえの仕事だぞ?」
 冬将軍は不機嫌に言い放ち、扉を閉めた。

 地下の部屋を出た冬将軍は、そのままその建物の最上階──塔へと続く階段をのぼっていった。
 塔の上からは、白い都を一望することができる。
 冬将軍は、自らの治める都を見渡せることができる、この場所が好きだった。
 眼下に整然とした町並みが広がる。
 白一色の建物で統一された町並みは、果てしなく続く晩夏の青空に鮮やかに映えて、美しかった。これ以上、美しい都があるだろうかと彼は思う。
 この美しい都に誓おう。──この手に四宝珠を必ず掴むと。
「さて、朱夏の魔女はどうするか……」
 冬将軍は、どこか夢想するような眼差しを愛する都の空の彼方に向けた。
「赤い石を持つ者──これが一番厄介だな」

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2005.2.16.