海神の花嫁

3.

「彼女たちは何も知らず、長様に騙されてこの町へ連れてこられたのね」
 ユリウスの部屋に戻ったユリウスとシーラは、深刻な表情で、今後どうすればよいかを相談していた。
「祭司様や長様は何を企んでいるのかしら。あたしがこの町を出るまで、ここは平和そのものの町だったのに──
 悔しそうにシーラはつぶやいた。
「ということは、今まで海王神の島に送られていた娘たちも、職を求めて故郷を離れた出稼ぎの娘ばかりを集めていた可能性が大きいな」
「エルゼの懸念も、尤もという気がしてきたわ」
 そわそわと室内を歩き廻っていたシーラが、突然、思い出したようにユリウスを振り返った。
「彼女たち、あたしたちがいろいろ聞き出していったことを祭司様に話してしまうかもしれないわね」
「それは大丈夫」
 思わせぶりに薄く微笑んだユリウスの顔を、シーラは疑わしそうに眺めた。

 シーラはもう一度神殿のエルゼを訪ねると言い残し、宿屋をあとにした。
 彼女が部屋を出て行くと、室内は急に静かな落ち着いたたたずまいを取り戻した。
「……あなたらしくないわね、ユーリィ」
 不意に姿を現した青珠が、背後からユリウスを覗き込むようにして言った。
「人の問題にはいつも無関心なあなたが、他人のために自ら動くなんて。あの巫女に同情したの?」
 ユリウスはちらと青珠を見遣った。
「偶然なのか必然なのか、時々判らないときがある」
 青珠は窓辺にたたずむユリウスの隣へ並び、静かに彼を見つめた。
「今回もそうだ。僕がこの町へ来た意味は? これが必然なら、僕のすべきことは彼女たちに力を貸すことだ」
「神の御心のままに?」
 青珠がくすりと笑う。
「からかうなよ、青珠」
「わたしも引き込むつもりね?」
「嫌なのか?」
「わたしはあなたの使い魔よ。あなたの望むことなら、何だってやるわ」
「じゃあ、宿にいる娘たちに暗示をかけて、僕とシーラのことを忘れさせてくれ」
「もうやったわ。あなたの考えていることくらい、解るもの」
 ユリウスはふっと笑った。
「それじゃあ、このあと、僕がおまえに何をやってもらいたいかも解るね?」
「ええ。解っているわ」
 ユリウスは不敵な笑みを浮かべ、満足げに傍らの青珠の蒼い髪を撫でた。
「おまえはいつでも僕の一番の理解者だ。僕にとって、おまえは使い魔以上の存在だよ」

 昼食を食べるという名目で、昼過ぎ、シーラが再び宿にやってきた。
 宿の食堂では迂闊なことは言えないので、食事のあと、二人は海岸へ散歩に出ることにした。
「ここは何にもない町だけど、海だけは他のどの土地にも負けないわ」
 シーラはことさら食堂の給仕たちに聞こえるように大きな声で快活に言い、ユリウスを宿の外へと連れ出した。
「ちょっとわざとらしくないか?」
「だって、あたしはこういう性格だもの。町の人はみんな知ってるから、平気よ」
 二人は、昨日出会った場所まで下りてきた。
「さて……さっきは勢いでエルゼにあんなこと言っちゃったけど、あたし一人でいったい何ができるかしら」
「あんなこと?」
「エルゼの代わりにあたしが海神の花嫁になるって」
「ああ──
「海王神殿には儀式を司る祭司様も行くわ。もし、エルゼの言うように人身売買がなされているなら、娘たちを買いにくる奴隷商人もいるはずよ。実態を確かめられたとしても、無事に町へ帰ってこられるかどうか……」
「僕も行こう」
 シーラはきょとんとして、刹那、ユリウスの顔を穴があくほど眺めた。
「なんて顔してるんだ。君一人じゃない。僕も海王神の島へ行く」
「でも──どうやって?」
「花嫁の一人に化けるんだ」
「……」
 シーラはその言葉の意味をよく考えるように眉をよせた。
「あなたが……花嫁に……?」
「それ以外、島に堂々と入る手段はないだろう?」
「それは……そうだけど」
 シーラは両腕を組んで、右手の人差し指を顎に当てた。
「本物の花嫁はどうするの?」
「ことが終わるまで、眠っていてもらう」
「そんなに都合よく?」
 ユリウスはうなずいた。
「もちろん、剣は携えていく。三人いれば、少なくとも町へは帰ってこられるさ」
「三人ですって?」
「三人目の花嫁は彼女だ」
 ユリウスの言葉とともに、二人の目の前にふわりと蒼い髪の娘が出現した。
 見渡す限り二人だけだった浜辺に、突如、空間から滲み出るように現れ出た三人目の人物に、シーラは仰天した。
「なに、この人? 人間じゃない……?」
 一歩二歩と後退さり、シーラは青い石の精霊の、風に流れる美しい髪や碧羅を愕然と見つめた。
「彼女は青珠。精霊だ。僕の使い魔だよ」
 シーラはただ唖然とユリウスと青珠の姿を見比べている。
「ユリウス、あなた、何者……? 魔道師なの?」
 絞り出すようなシーラの問いに、ユリウスは妖しい微笑を浮かべて簡単に答えた。
「ただの巡礼者さ」
 浮世離れしたその美しさに、ユリウスこそ人間ではないのではないだろうかと、ぼんやりとシーラは考えた。

* * *

 海神の花嫁たちが島の海王神殿に入る当日と前日は、潔斎のため、巫女が余人と会うことは禁じられていた。
 ユリウスは、その日の夜のうちにシーラをエルゼの部屋に忍び込ませることにした。そして、エルゼから神の花嫁としての儀式の作法を教わり、満月の夜までそこに隠れているよう指示した。
「君の家族は、君が家を留守にすることを怪しまないかな」
 シーラはちょっと肩をすくめてみせた。
「帰ってきた日に浜で素敵な人と知り合ったって言ってあるから、家族は、あたしはあなたと会っていると思っているわ」
「剣は持っているね?」
「もちろんよ」
 ユリウスはうなずいた。
「よし。それじゃあ、満月の夜、合流しよう。僕は青珠と宿にいて、宿の娘たちに成り代わって、海王神の島へ行く」
「気をつけてね」
「君こそ」
 そうして、シーラは神殿のエルゼの部屋に潜み、ユリウスは宿で連れてこられた娘たちの様子を観察することにした。

 満月の夜。
 神の花嫁として海王神の島へ送られるはずだった娘たちの部屋に、ユリウスと青珠はいた。
 二人の娘はユリウスの部屋で眠っている。
 青珠が二人の眠る寝台に眠りの結界を張ったのだ。
「……誰か来たわ」
 低く青珠がささやき、ユリウスがうなずく。
 二人は象牙色の巫女の衣裳に身を包み、絹のベールを頭からかぶって顔を隠していた。
 室内には灯りを点したランプがひとつ。
 しとやかに座って時を待つ。
 やがて、扉が小さく開かれ、人の声がした。
「神殿からの迎えだ。さあ、こっちだ。おいで」

 海神の花嫁の扮装をしたユリウスと青珠は、町の長と思われる人物に案内され、宿屋の裏手──崖に面した小道を歩き、神殿の裏手まで来た。
 神殿の裏手は断崖絶壁。
 その崖の間に、狭い、階段状になった道が、真下の海に向かって伸びていた。
 月は出ている。
 満月なので明るい。
 その階段を、長に続いて延々と下り、一番下までたどり着くと、そこは小さな船着場になっていた。
「祭司様。神の花嫁を二人、連れてきました」
「おお、長殿」
 象牙色の僧衣の上にやはり象牙色のマントを羽織った大柄な祭司は、用意されていた船にすでに乗り込んでいる巫女を目で示し、
「一人はそこじゃ。すぐに出発しよう。二人の花嫁を乗り込ませてくだされ」
 と言った。
 思いの外、しっかりと大きな船だった。
 二人の船頭は海王神殿の神官なのか。
 船頭に手を取られ、ユリウスと青珠はゆっくりと船に乗り込んだ。
「では、長殿。行ってまいります」
「よろしく頼みます、祭司様」
 船着場に長一人を残し、船は夜の海を滑り出した。

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2005.2.23.