盲目の王子

2.

 ユリウスは、目の前に立つ亜麻色の髪の青年に驚きの目を向ける。
「黒いユリウス?」
「失礼。私は君のことを勝手にそう呼んでいる。私の目に映る君の姿は、いつも巡礼の黒衣をまとっていた。だから、黒いユリウス」
 青年は淡く微笑んだ。
「私の名もユリウスという。レキアテル王国の王族に連なる者だ」
「レキアテルの? そんな人が、いったいどうして──
 言いながら、ユリウスは王子の傍らにつつましく立つ金髪の娘を見た。
──彼女は精霊だね?」
「そう。君の青珠と同じ、四宝珠に宿る精霊だ」
 王子ユリウスは、自らのサークレットの中央に嵌めこまれた、額の黄色い石に指を置いた。
「黄色い石の精霊で、黄珠という。私の使い魔だよ」
「黄色い石の精霊……」
 ユリウスが目にする、三人目の珠精霊であった。
「……僕の青い石は──奪われてしまった」
「知っている。だから、私は君に会いに来たんだ」
「君はいったい……」
 王子ユリウスは透き通った微笑を浮かべた。
「私は君であり、君は私である。私たちは遅かれ早かれ巡り会う定めにあったんだ。──そう、妖霊星の導きによってね」
「妖霊星……の導き──?」
「そう。君の出生にまつわる出来事を、私は知っている。それが、私が生まれながらに持つ力──千里眼だ」
 冷たい風が、ユリウスの淡い金髪を、王子の亜麻色の髪を、清かに舞わせた。

 トリスという名の町がある。
 緋海に面したその町の祭神が、水の神・ネプトゥーヌスだった。海辺の地域では、ネプトゥーヌスは海神として祭られている。
 ユリウスは、亜麻色の髪の王子ユリウスとともにトリスにやってきた。
「ユリウス。私はひと足先にこの町に来て、君を待っていたんだ」
「待っていた?」
 王子の泊まっていた宿に落ち着くと、彼の言葉に巡礼のユリウスは眼を見張った。
 王子は穏やかにうなずく。
「そう。話せば長くなるが、私は君を知っている。正確には、君の存在を感じていた」
「……」
 黄珠が部屋のテーブルに湯気の立つカミツレ茶を運び、二人のユリウスに勧めた。
 ユリウスは碧い眼でじっと無表情に王子を見つめていたが、王子が座った向かい側の椅子に腰掛けて、温かい陶器のカップを手に取った。
「ユリウス王子。君は僕の何を知っているんだ?」
 巡礼のユリウスのわずかな緊張を感じ取り、王子はやわらかな表情で眼を閉じた。
「私は主に君の心の痛みに感応する。青い石を奪われた君の痛みが伝わってきた。だから、君が青い石を取り戻すために、手を貸したいと思ったんだ」
「……千里眼を持っていると言ったね。その目で、僕の行動を観察していたのか? いつから?」
 伏し目がちに、ユリウス王子は優雅にカミツレ茶に口をつけた。
「もちろん、君の全てを知っているわけじゃない。君のプライバシーは侵害していないと誓える」
「だが、僕の姿まで知っていた」
「私が知っているのは、たとえば、妖霊星の定めに殉じて神に生命を捧げた美しい巫女のこと──
「!」
 手にしたカップをテーブルに置き、ユリウスは険しい目付きで盲目の王子を見つめた。
──君は何者だ?」
 王子は静かにユリウスへと見えない瞳を向けた。
「解らない」
「解らない……?」
 黄珠は静かに窓辺にたたずみ、二人に背を向けている。
 ユリウス王子は静かな声で独り言のように続けた。
「なぜだろうね。君の痛みや苦しみ、それらが私に伝わってくる。君が見ていると思われる風景が、不意に脳裏に飛び込んでくることもある」
「……」
「千里眼のせいで、私にはいろいろなものが見えるけれど、特定の人間の苦悩が幾年も私の中に流れてくるのはどうしてだと思う?」
「僕の……苦悩……?」
「そう。君の」
 王子はそよ風のように微笑んだ。
 無垢な笑顔がカミツレ茶の湯気にけぶる。
「私は……いや、私たちは何者なのか。それを知りたくて、君に会いに来たんだよ」
──
 その言葉に、王子の声の響きのあまりの純粋さに、ユリウスは絶句した。
 一見、文弱そうな王子のたたずまいには、一切の迷いがなかった。


 トリスの海を望む丘の上に、ネプトゥーヌス神殿はあった。
 夕食前に、二人のユリウスはそこに詣でた。
「君はいつも過去を見ているね、ユリウス」
 隣を歩いていた王子に突然声をかけられ、ユリウスははっとしたが、何気ないふうに、すぐに表情を消した。
 神殿は広く、参拝に訪れる人たちが行き来している。
 陽が傾き始めた空と海の色に、白亜の神殿がよく映えていた。
 黒衣をまとったユリウスは、王子ユリウスの横顔をちらと見遣ったが、王子の表情からは何も読み取ることができなかった。
「君は僕の母の死の顛末を知っているんだったね。それも千里眼の力か?」
「私が見たのは君の夢だよ、ユリウス。君の苦悩に感応すると言っただろう?」
 海の神の拝殿にひざまずいて祈りを捧げた二人は、神殿の参道をゆっくり歩いて引き返す。
「君の信頼を得るために、私の生い立ちも話そう。これはレキアテル王家の存続に関わる内容なので、他言はしないでもらいたい」
「レキアテル王家の?」
 さすがにユリウスも驚いて眼を見張った。
 ユリウス王子は穏やかに海風を受けて、見えぬ眼を大海原へと向けていた。
 石畳の参道から逸れ、二人は海を見渡せるひと気のない場所まで移動した。
「君の母君の記憶が、なぜ重要なのか。それは私も君と同じ星のもとに生まれているからだ」
 ユリウスの睫毛が微かに震える。
 嵐のあとに顕現した、あの妖しくも美しい、蒼白く尾を引く星。
「妖霊星……」
「そう。十日間の嵐のあとに現れた妖しの星。十九年前のあの夏の夜、私は生まれた」
「王子も?」
 思わず王子を見つめたユリウスの瞳を見返すように、王子は翡翠色の瞳を黒衣のユリウスへと向けた。
「私たちにはいくつかの共通点がある。私は君と同じ日の同じ時刻に生まれた。父親は存在せず、妖霊星のもとに生を享け、そのために母を死なせた。そして、偶然にも同じ名を与えられた」
 海は静かだった。
 空は広く、陽光はやさしく、風がやわらかく二人のユリウスを取り巻いている。
「君も私も不思議な力を生まれ持っている。気にならないかい? 自分たちが何者なのか」
 王子の瞳がふっと伏せられた。
「ただ、君はずっと過去を見つめているね。巡礼も、信仰ではなく贖罪の旅だろう? 私は未来を求めて君に会いに来たのに。私たちはまるでヤヌス神のようだ。二つの顔が、それぞれ過去と未来を見つめている」
──
 ユリウスはある種の驚きをもって王子を見つめた。
 直感で理解したのだ。
 このやさしげな姿をした亜麻色の髪の盲目の青年こそ、己を救うただ一人の人間だと──そう、確信した。
「……水神ネプトゥーヌスと、我が神ヤヌスに誓って」
 王子を見つめ、ユリウスは決然と言った。
「ユリウス王子。君の秘密は洩らさない。僕は君の言葉を信じる」
 低いユリウスの声音を聞き、ユリウス王子は口許に微笑を浮かべてうなずいた。

 王子が巡礼のユリウスに語ったのは、レキアテル国王の妹姫にまつわる、彼の出生の秘密だった。
「そんな話をこんなところで口にしていいのか? 万が一、誰かに聞かれては──
 驚くユリウスに王子は微笑んでみせる。
「どこかで黄珠が風の結界を張っているよ。私たちの声は、その風の外に洩れ聞こえることはない」
「そうか」
 黄色い石の精霊の存在を失念していたユリウスが改めて周囲を見廻すと、王子がふと声を洩らした。
「……あ」
「どうかした?」
「白亜の神殿が見えた。きっと、このネプトゥーヌス神殿だね」
「それは精霊たちの声で?」
「いや、映像が脳裏に浮かんだ。君の眼を借りていいかい、ユリウス?」
「眼を借りる?」
 戸惑いつつもユリウスが承諾すると、王子はすっと眼を閉じた。
「神殿のほうを見て」
 ユリウスが神殿のほうを見遣ると、王子は満足げにほうっとため息を洩らした。
「やはり、そうだ。同じ景色だ。君の目に映った風景が、そのまま私に伝わったんだよ。たまに、このようなことが起こる」
「僕の見ているものが、王子に伝わる?」
「あ、消えた」
 まばたきをしたユリウスが王子のほうを振り返ると、王子は残念そうに笑った。
「霊山や湖や神殿、空や海などがね。きっと、私たちにとって大切な景色なんだろう」
 “私たち”と王子は言った。
 同じ星のもとに生まれた自分たちは、運命までをも共有しているのだろうか。ふと、そんなふうにユリウスは考えた。
「気味が悪いかい?」
「……いや。この世界に不思議な力が働いているのは事実だ。そしてそれは、君のせいじゃない」
「ありがとう」
 レキアテル王国の王子・ユリウス。
 伝説の四宝珠のひとつ、黄色い石の持ち主である亜麻色の髪の青年。
 巡礼のユリウスにとって、彼のような人間に会うのは初めてだった。
 静かで穏やかで深い、不思議としか言いようのない空気をまとっている。
 そして、王子の迷いなき心に触れたユリウスは、あたかも己の半身に出逢ったような気がするのだった。

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2019.1.15.