盲目の王子

3.

 王子の泊まる同じ宿に部屋を取った巡礼のユリウスは、翌朝、王子の部屋を訪れた。
 夕べも夕食をともにし、ユリウス王子の事情や、青い石を奪われた経緯について、遅くまで話をした。
 宿の使用人に二人分の朝食を王子の部屋に運んでもらい、二人のユリウスはテーブルについた。ものを食する必要のない黄珠は、お茶だけを二人につきあっている。
「誰かと食事をともにするのは何年ぶりだろう」
 ふと、つぶやいた王子が微笑する。
「乳母が亡くなって以来かな」
 朝食は、蜂蜜をつけたパンにチーズ、あとは果物に葡萄酒という簡単なものだったが、王子には王宮での豪華な食卓よりも好ましく思えるらしい。
 昨夜、王子の生い立ちを聞いたユリウスは、何不自由ないであろう大国の王家に生まれた彼が、決して幸せではなかったことを知った。だが、王子は自らを不幸だなどとは思っていないだろう。
 果たして己は幸福なのか不幸なのかと、思うでもなくユリウスは思った。
「さて、ユリウス。青い石の在り処については、神託にうかがいをたてると言ったね」
「ああ。でも、昨日聞いたところによると、本格的にネプトゥーヌス神殿で託宣をするには、かなり日数がかかるらしい。供物を揃えるだけでも数日かかる」
 王子ユリウスはうなずいた。
「そんなに待ってはいられないね」
「ユリウス王子。君の千里眼で何か探れないか?」
 食事の手をとめ、王子はおもむろに眼を閉じた。
 しばらく瞑想するようにそのままでいたが、やがて小さくため息をつく。
「やはり駄目だ。何度か試してみたが、私一人の力では無理だ。四宝珠の力はあまりに大きい。私には掴み取ることができないよ」
「そうか……」
「だが、残念だ」
 眼を開けた王子ユリウスは、伏し目がちに斜めに瞳を向けた。
「ここがメディオラであれば……ディディルの力を借りることができたのに」
「ディディル?」
 ユリウスの問いに、ワインのゴブレットに口をつけ、王子が答える。
「レキアテルの第一王子づきの方士だ。まだ十三だが、巫女の資格も有している。彼女なら託宣ができる」
「しかし、託宣には時間が……」
「神殿の参詣者が行う簡易の託宣でいい。私がディディルの目を借り、彼女の巫女としての目を通して千里眼を使えば、神託として、何か見えるはずだよ」
「巫女の目を?」
 王子はうなずいた。
「レキアテル王家の第一王子には、代々、巫女を兼ねた十代の方士がつく。いずれ王太子となり、王座を継ぐことが前提だが、一生をその王子に仕える方士は依巫よりましの役目も担うんだ」
「その方士以外の巫女の目では駄目なのか?」
 パンをちぎって口に運ぶユリウスが物憂げに問う。
 ゴブレットをテーブルに置いた王子は、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「他者の目を借りるとね、その人物の心にまで同調してしまう。他人の心に同調するのは精神的にかなりつらいんだ。だから、眼を借りるときは、たいてい、鳥や動物の眼を借りている。どうしても必要な場合は、黄珠の眼を借りる」
「でも、昨日は僕の眼を使った」
「君は特別らしい。まるで自分の視界のように、自然に風景を見ることができたよ。不思議なことだが」
「その方士は大丈夫なのか?」
「ディディルは気心が知れている。彼女には邪心がないから、比較的楽に同調できるはずだ」
 二人のユリウスはしばらく黙って食事を続けたが、じっと考え込んでいた巡礼のユリウスが躊躇いがちに口を開いた。
──王子。その方士に頼んでみることはできないだろうか。距離があり過ぎるかな」
「私が同調するには難しいが、託宣を頼むのは、黄珠を使いに出せば引き受けてくれると思う。彼女は黄珠や黄色い石の存在を知らないが……」
 そこまで言って、王子は眼を閉じた。
 だが、ふと、訝しげに眼を開けて、眉をひそめる。
「王子?」
「おかしい。メディオラ市内に、ディディルの“気”を掴めない」
 メディオラ市はレキアテル王国の首都である。
 方士・ディディルはメディオラにある王宮にいるはずだ。
「方士の気? ユリウス王子。君はここから、レキアテルにいる人間の気配を掴むことができるのか?」
 驚くユリウスに王子は微苦笑を洩らした。
「これも千里眼の力のひとつでね。私がよく知る人物に限定されるが、ある程度の距離を隔てていても、その人のだいたいの位置を把握することができるんだ。でも……今、ディディルは王宮にいないな」
──僕のいる場所も、そうやって把握したのか」
 林檎の皮をむいていた黄珠がその手をとめて、王子ユリウスを見遣った。
「王子。ディディル殿は、王子を追われたのでは」
「黄珠」
「陛下はともかく、アウリイ様もディディル殿も、あのような置き手紙だけで納得されるとは思えません」
「……だろうな」
「ディディル殿は、王子を追って都を出られたのではありませんか?」
「あり得るね」
 王子は一見冷静に見えたが、黒衣のユリウスのほうが、驚いて碧い瞳を大きく見張った。
「危ないじゃないか! 方士とはいっても、その子はまだ子供なんだろう?」
「ほんの少女だ。一人で国を出られるとは思えない。……アウリイが従者をつけたかな」
 いずれにせよ、少女が行方不明である以上、放っておくことはできない。
「王子。青い石は僕の問題だ。君は、その方士の少女の身の安全を考えないと」
「そうだね。……黄珠、食事が終わったら、地図を持ってきてくれ」
「はい、王子」
 静かに首肯した黄珠は、林檎の皿を、ユリウスと王子の前に差し出した。

* * *

 朝食の食器類を下げたあと、黄珠はテーブルの上に大陸の地図が描かれた羊皮紙を広げた。
 この広い大陸で、たった一人の人間の気配を掴むため、精神統一するユリウス王子のために、黄珠は王子の周りに結界を張り、自然界のあらゆる精霊と王子との接触を遮断した。
 そして、王子一人を残し、彼女は巡礼のユリウスとともに部屋を出た。
 ユリウスの部屋に移ると、黄珠は静かに問うた。
「ユリウス殿、大丈夫ですか?」
「え?」
「青珠のこと。かなり参っておられますね」
 清流のように清雅な青い石の精霊と比べ、黄色い石の精霊は、淡い八重咲きのアネモネの花のような美しさを持っていた。滅多にその表情を変えることのない黄珠だが、決して無感情ではない。
 ユリウスは黄珠に椅子を勧め、自らは寝台の上に腰掛けた。
「青珠と僕との感情も、王子には見えるの?」
 静かな蜜蝋色の瞳で、精霊は黒衣の美しい青年を見つめた。
「王子があなたから感じ取れるのは、漠然とした、けれど鮮烈な苦悩や不安。具体的な感情そのものは見えないはずです。けれど、あなたのその不安から、あなたにとって、いかに青珠が大事な存在かは解ります」
 長い睫毛を伏せ、ユリウスは小さく吐息を洩らす。
「じゃあ、察しているんだろうね。僕が青珠に恋愛感情を抱いていることを」
「青珠のほうも?」
「たぶん。精霊に恋する僕をおかしいと思う?」
 黄珠は少し考えた。
「どんな形の器をも満たすことのできる水は、愛を象徴します。青珠は愛情深い精霊ですから、不自然ではありません」
「だが、青珠は人間があまり好きではないと言っていた」
「では、過去に人間との間に何かあったのでしょう。珠精霊は、ときに石のあるじの性格に影響を受けることがあります。ユリウス殿に出逢い、変わったのでは?」
 ユリウスの脳裏に、ふとロズマリヌスの面影がよぎった。
「黄珠」
「はい」
「ずっと一緒にいて、君は王子を愛したりしないの?」
 黄珠は軽く眉を上げた。
「愛……忠誠心はあります。慈しみの気持ちも。けれど、これも愛と呼べるのでしょうか」
「愛情や信頼がないと、ずっと一緒にはいられないんじゃないかな」
 ユリウスはさりげなく黄珠の様子を見守ったが、その白い顔に表情らしきものはなかった。
「珠精霊は、主のいない時期は眠りに就き、強く興味を引かれる人間に出会ったとき、その者を主に選びます」
 遠くを見遣るように、遠くのものに語りかけるように、黄珠は言葉を紡いだ。
「王子の千里眼に、わたしは興味を持ちました。この人間がどのように千里眼を使うのか、その一生を見届けたいと思った。そして、王子を石の主に選びました」
 彼女は澄んだ大気を思わせる眼差しでユリウスを見た。
「けれど、あなたと青珠のように、恋愛に発展することはありません。わたしは王子を赤子の頃から知っているのですから。ただ、王子を護りたい。それだけです」
 そこにあるのは慈愛だった。
「よく解ったよ。それが、君の王子に対する愛情の形なんだね」
 石に宿る精霊とその主とは、一心同体なのだと改めて知った。
 赤い石の精霊・紅珠とその主・朱夏の魔女も、同じだろう。
 ユリウスは両の拳を握りしめる。
 青い石は、やはり自分自身で取り戻すべきだ。
 青い石の持ち主は他の誰でもない、自分なのだから。
 何より、愛する対象としての青珠を取り戻すのは、己でありたい。
「僕は大丈夫だよ、黄珠。この手で青い石を取り戻すことが、僕の青珠への愛情の形だ」
 そうして、とりとめのない会話を交わし、時間をつぶしていると、不意に黄珠が椅子から立ち上がった。
「黄珠?」
「王子がわたしを呼んでいます」
「じゃあ、方士の居所が」
 顔を上げたユリウスを見て、黄色い石の精霊はうなずいた。
「はい。ディディル殿の居場所が判ったのでしょう」
 ユリウスも立ち上がり、二人はすぐに王子の部屋へと向かった。

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2019.1.26.