我が罪との邂逅
5.
思いもよらないユリウスの行動に、セラフィムは唖然となった。
「そうして──そうして、おまえはどうするのだ、ユリウス? 青珠は、おまえの世界なのだろう? 世界がなくなったら──」
凄みのある表情でユリウスは微笑んだ。
「もちろん、僕も青珠のあとを追う。彼女の死に殉じる」
「正気か──ユリウス」
セラフィムは恐怖にも似た色を菫色の瞳に揺蕩わせ、重厚な美を漂わせるユリウスを見つめながら寝台からゆっくりと降りた。
「おまえが死んだら、おれはどうなる? おまえのためだけに、死の淵からよみがえったおれは──?」
ユリウスは手投剣を持つ手を下ろし、憐れむようにセラフィムを見た。
「この僕がなぜ何年も巡礼をしていると思う。贖罪のため……おまえを殺した罪をあがなうためだ」
「おれの……ため……?」
「セラフィムのため。そして、母・フィーテのため」
「……母……」
ユリウスはうなずいた。
「人は生きている限り必ず罪を犯し続ける。ことに、僕は傭兵という職業にあったこともあり、人より余計に罪を重ねてきた」
哀しみの色を湛えたユリウスの碧色の眼が微かに伏せられた。
「おまえを殺したことは、今まで僕が犯した殺人の中で、最も重い罪だ」
セラフィムがはっとする。
「ユリウス──」
「そして、この世に生を享けたことこそが、僕の最大の罪なんだ」
フィーテという一人の敬虔な巫女を、罪人にしてしまった罪──
「ユリウス……なぜ……」
寝台を降りたセラフィムが、ふらふらとユリウスのほうへ、数歩、歩み寄った。
菫色の瞳を大きく見開き、ユリウスの憂いに満ちた美しい顔を、セラフィムはただひたむきに見つめていた。
「なぜ、哀しむ? なぜ、おれのために祈る。おれを殺したのは、おまえなのに。おまえをそうさせたのは、おれなのに」
「セラフィム……おまえは僕の傭兵としての師であり、兄であり、親友だった。おまえを兄のように慕っていた」
手に持った手投剣を、ユリウスはベルトの鞘に収めた。
「あの頃だったら……僕たちはまだ互いの関係を築き直すことができただろう。しかし、おまえが言ったように、もう僕たちは完全に切り離された別々の道を歩んでいる。あの頃に戻ることはできないんだ」
深い──深い碧い瞳が、セラフィムを真っ直ぐに見つめた。
「僕は、僕の道を歩んでいく。贖罪のため、自らの生きる意味を問うため。僕は巡礼を続ける。ユリウス王子や青珠は、僕が僕であるために必要不可欠な存在だ。だから、解放してほしい」
刹那、セラフィムは軽く眼を見張り、突如、狂ったように哄笑した。
しばらく哄笑したあと、セラフィムは鋭い瞳でユリウスを見遣り、嘲るように吐き捨てた。
「おまえに必要だから解放しろ? じゃあ、おまえにとっておれの存在とは何なんだ? おれこそ、おまえという存在が必要だ。贖罪のために巡礼をするくらいなら、おれとともにこの城にとどまれ!」
セラフィムは大股にユリウスに近寄ると、黒衣の肩に手を掛け、その瞳を覗き込み、彼の魂を揺さぶるように、彼の肩を揺さぶった。
「おまえを求め、おまえに似た人間を探し、何百人もの金髪の娘を城に集めた。ようやくおまえの面影を持つ娘を見つけ、おまえの身代わりとしてそばに置いたが、日毎におまえへの想いは募るばかり。金髪なだけでは──面差しが似ているだけでは駄目だ。──ユリウス、おまえでなければ……!」
愁いを帯びていたが、ユリウスの表情は静かだった。
静かにセラフィムの手を掴み、肩から下ろした。
「セラフィム、おまえの愛は狂気じみた執着でしかない。どうしても僕がほしいなら、剣で決めよう」
「剣だと?」
凛然たる表情でうなずくユリウスは、半神的なまでに美しかった。
「おまえが勝てば、僕の生命をやろう。煮るなり焼くなり、好きにすればいい」
セラフィムの眼が光った。
「青珠を捨てて、おれの愛を受け入れるか?」
「それでもいい」
ユリウスははっきりとそう言った。
「ただし、僕が勝ったら、青珠とユリウス王子の身柄の解放を要求する」
「面白い」
不敵な笑みを浮かべると、セラフィムはチュニカの上に羽織っていた絹の寛衣をするりと脱ぎ捨て、安楽椅子の背に投げた。そして、寝台とは反対側の壁まで歩いていき、そこに掛けてあった二振りの長剣をはずして両手に取った。
ユリウスは、まだ寝台の上にぐったりと横たわったままの青珠のもとへ足早に歩み寄った。
「青珠、僕が判るか?」
「……ユー……リィ──」
力なく眼を開ける青珠の上体を、ユリウスは抱き起こした。
素早く彼女に唇を合わせ、彼女の乱れた着衣を直してやる。
「もう大丈夫だ。安心していい。これを──少しはこの城の負の力から護ってくれるだろう」
ユリウスは自分の外套を脱ぎ、青珠に羽織らせた。
おまえだけは護る、と口の中でつぶやく。
たとえ、剣でセラフィムに敗れたとしても、そのときは即座に青い石を砕き、青珠の誇りだけは護る覚悟だった。
セラフィムが窓際で蝋燭を灯し、その火を室内の多灯架や、壁に設置された幾つもの燭架に移した。
部屋が、昼間のように明るくなった。
「さあ、ユリウス。お手合わせ願おうか」
セラフィムが投げてよこした長剣を、ユリウスは無言で受け取った。
セラフィムの寝室に続く部屋の前までやってきたユリアは、扉の前に倒れている黒髪の少年の姿を見て、驚愕した。
「クロロス様!」
いや、彼の名はクロロスではなかった。
黒曜公や王子ユリウスは彼をなんと呼んでいただろう──?
そう──“翠珠”。
確か、二人はこの小姓頭のことを、翠珠と呼んでいた。それが、少年の真実の名なのだろうか。
「クロロス様……! まさか、死──」
恐ろしそうに、そろそろとユリアは仰向けに倒れた翠珠の傍らに膝をついた。
胸に剣が突き立てられている。
だが、不思議なことに一滴の出血もない様子だった。
このような場合、彼女にできることといったら何だろう?
ユリアは怖々、翠珠に刺さった剣の柄に手を掛け、力を込めて引っ張ってみた。──びくともしない。
「あたしの力では、剣を抜くことすらできないわ」
ユリアは途方に暮れたようにつぶやいた。
もしかしたら、手遅れかもしれない。
でも、セラフィムにとって大切な小姓頭を、ユリアはどうしても助けたかった。
「そうだ、セラフィム様はこの部屋の中におられるはず。セラフィム様なら──」
そう、セラフィムなら、この状況を何とかできるだろう。
ユリアは観音開きの扉の片方を開けて、そっと部屋の中へ入った。
「セラフィム様……?」
室内は無人だった。
しかし、この部屋から続き部屋になっている奥の寝室から、物音がする。
ユリアははっとした。
それは、剣を交える音だった。
こんな夜更けに、誰と誰が──?
胸騒ぎを覚え、ユリアはそっと奥の間へ続く扉に手を掛けた。
全ての灯架に火が燈されている。
黒曜公の豪奢な寝室は、真昼のように明るかった。
広い室内では、長剣を手にした二人の青年が剣花を散らし、激しく打ち合っている。
驚いたユリアは、一歩、室内に足を踏み入れたものの、しばらくその場から動くことができなかった。
剣を振るう二人の青年のうち、一人は黒曜公だ。
そしてもう一人は──?
ユリアは息を呑んだ。
あれは──あたし?
金髪のその青年は、一瞥したときに受ける印象が、信じられないほどユリア自身によく似ていた。
黒い布を巻いた髪の色合いも、目鼻立ちの繊細さも、どこか儚げな雰囲気も──
ただ、黒衣をまとうその青年には、ユリアにはない神々しさが備わっていた。
「あの人が、ユリウス様のおっしゃっていた、黒い、ユリウス──」
気を取り直して室内を見廻すと、寝台の上に、黒い外套を羽織った蒼い髪の娘がうずくまっているのが目に入った。
「青珠さん……?」
ユリアは寝台に、青珠のもとに近づいていった。
青珠は二人の青年の撃剣を、厳しい眼差しで凝視している。
「……」
ユリアははっとした。
ぐったりとした青珠の様子から、そして白い胸元に見え隠れする無数の赤い跡から、彼女が黒曜公に乱暴されたらしいことは容易に察することができた。
しかし、同時に、そんなことがあるはずがないと思った。
女性に無理やり乱暴するなんて、そんなこと、セラフィム様がなさるはずがない。
ユリアの知る黒曜公は、そのような人間ではなかった。
「青珠さん、いったい何がどうなっているのですか」
青珠はちらとユリアを見遣り、すぐに視線を、激しく剣を交えるユリウスとセラフィムに戻した。
「セラフィム様は、あたしがここにいることさえお気づきにならない」
青珠はもうユリアのほうを見ようともせず、じっと、二人の青年の真剣勝負に視線を注いでいる。
「いいえ。二人とも、あなたがこの部屋に入ってきたことに気づいている。でも、そんなことに気を取られていたら、互いに命取りになりかねない」
「二人は決闘をしているの? なぜ……あなたが原因なの?」
「ユーリィとセラフィムの決着が、今、剣でつけられる。これは二人の問題よ。それを見届けるのが、わたしの義務」
ユリアには、青珠の言っている意味が半分も解らなかった。
この蒼い髪の娘を巡っての決闘ではないのか。
闘いを見守る青珠の表情は厳しく、青い瞳にはある種の覚悟が秘められているように感じられた。
「あなたは、黒曜公に仕えているの?」
不意に青珠が言葉を発し、ユリアははっと顔を上げた。
「あたしは、セラフィム様の小姓です」
その言葉だけで、青珠は、セラフィムにとってのユリアという娘の存在の意味を理解した。
彼は、狂おしいまでにユリウスを愛している心情を吐露した。
このユリアという娘は、ユリウスの身代わりなのだ──
2005.5.29.
加筆修正 2021.2.4.