二十年目の夏至
2.
カルム島。
高品質な真珠とオリーブを特産品とし、優れた魔道士が輩出されるカリア氏族が住む島だ。
緇海に浮かぶカルム島はタナトニア帝国の領土だが、この島は完全なる自治が認められている。
帝国は、高額で取り引きされるカルムの真珠の販売網の独占権を得、魔道士という人材の国外への流出を禁じ、これらと引き換えにカルムの自治を認め、かつ他国からの庇護を約束した。
神代から島の自治を重んじてきたカリア氏族は誇り高い。
タナトニア帝国建国以来、タナトニアの領土に組み込まれてなお、カリア氏族は帝室と対等に渡り合い、自分たちの島を守っている。
四帝時代、カリア氏族は魔人たちの一族であった。
三〇年戦争には加わらず、中立を貫き通した島の人々は、沈黙の封印により魔人としての力を封じられても、ただの人間として島と一族を守ってきたのだ。
* * *
「お二人のご関係をうかがってもよろしいかな? 一介の巡礼者と一国の王子がなぜ行動をともにしておられるのか」
ネプトゥーヌス神殿の神官長・ティトゥスの疑問は当然だ。
巡礼のユリウス、王子ユリウス、二人は淡々と出会った切っ掛けを語った。
二十年前のあの凄まじい嵐のあと、妖霊星の出現とともに同じ日に生まれたこと。生まれ持った不思議な力で互いの存在を知ったこと。
王子ユリウスが盲目だと知り、ティトゥスは驚いた。
「盲目……? 失礼、眼がお悪いとは全く気づかず……」
「私が盲目だと気づく人は少ないです。千里眼のおかげで、自然界の精霊たちの声で視界を形成できますので」
ユリウスたちの話は続く。
朱夏の魔女との邂逅と彼女の死。
朱夏の魔女が絡む一連の出来事は、彼や、後ろに控えているカルムの副神官長と補佐官を絶句させるのに充分だった。
「……酒が欲しいところだな」
ティトゥスは掌で口許をぬぐってつぶやいた。
「朱夏の魔女が実在の人物だったと。そして、その正体は賢者ラウルスが作った木の彫像──歴史はまさに、神代から続いておるのだな」
「僕たちの話をお信じになりますか?」
「──判らぬ。何とも言えぬ。それはあとで会議にかけよう。黒紙文書と白紙文書についても、開示は上層の者たちで話し合わねば決定できぬ」
「はい。それはもちろん」
ティトゥスは疲れたように大きな息を吐いた。
昼食後から始まった話し合いだが、外はもう薄暗くなり始めていた。
「それに、天の御子と地の御子の伝承……それも信じろとおっしゃるのだな」
「それは僕たちも判断しかねています」
「あなた方が天と地の御子だと……いや、今はまだ何とも言えぬな」
一度に理解するには、あまりにも情報量が多すぎる。
ティトゥスは背後の副神官長と補佐官を振り返り、目で問うと、二人はうなずいて答えに変えた。
老神官は巡礼のユリウスと王子ユリウスに向き直った。
「しばらく、ここに滞在していただけるか。我々には考える時間が必要だ。申し訳ないが、行動も制限させていただく。この神殿から外へ出る際には、誰か神殿の者を伴ってくだされ」
「はい」
「解りました」
誰かのため息が洩れた。
しばらく訪れた沈黙はどこか不穏だった。
黒いユリウスの隣に座る青珠がぽつりと言った。
「もうすぐ夏至ですね。今年の夏至は二十一日」
「うむ。話の通りなら、お二人の二十回目の誕生日となるわけですな。少なくとも、その日まではカルムにご滞在いただこう」
「夏至は一年で最も魔力が高まる日。嫌な予感がします」
静かな青珠の指摘に無表情に黄珠がうなずき、ティトゥス自身もうなずいた。
ティトゥスには疲労の色が見える。
「沈黙の封印が解かれて三年半か。──ネプトゥーヌス神の神託にうかがいを立てよう。まずはそれからだ」
長い話し合いが終わり、ディディルと合流したユリウスたちが、夕食を終えて彼らに与えられた部屋に戻ったのは、夜の九時頃だった。
程なく黒いユリウスの部屋を王子ユリウスが訪れた。
「ユリウス、少しいいかい?」
室内を蝋燭の火が照らしている。
髪に巻く巡礼の布を解いたユリウスは、額にかかる髪をかき上げながら、部屋に入ってきた王子ユリウスのほうを振り向いた。
「王子。今日は早く休んだほうがいいんじゃ……?」
青珠にいざなわれ、王子は質素な寝台の上に腰かけた。
黒衣のユリウスは、狭い部屋の中で盲目の王子に向かい合い、一脚しかない木の椅子に座る。
「ユリウス。黒曜公のことを話さなかったね」
探るような王子の問いに、ユリウスはふっと笑った。
「黒紙文書と白紙文書の内容を教えてもらえるとは限らないからね。セラフィムについては、向こうが僕たちを信用する気になってくれてから伝える」
「……そうか」
「セラフィムはあのまま黙ってはいないだろう」
黒曜公セラフィムと、緑の石の精霊・翠珠。──沈黙の封印が解かれた直接的な要因は彼らの存在だ。
うつむく王子は拳を口許にあて、翡翠色の眼をわずかに細めた。
「黒牙帝の血をひく者──面妖な人物だったな……」
「王子、彩羽の目的が気になります」
不意に青珠の口から飛び出した名前に、王子は顔を上げ、見えぬ眼を見開いた。
「彩羽……? 朱夏の魔女の?」
青珠はうなずいた。
「彼がわたしたちを追っています」
瞳を見開き、王子はわずかに驚きを示した。
「確かか、青珠? ユリウスも知っていたのか?」
「彩羽の気配を感じると、青珠から聞いてはいた」
どこか困ったような表情でユリウスは微笑を浮かべ、簡潔に答えた。青珠が続ける。
「彩羽の万華鏡の術の気配は覚えたから、もう彼だと判るわ。ヘスベルの港までわたしたちを尾けていたけれど、この島を守る霧を抜けられなかったようです」
「彩羽は私たちに復讐でもしようとしているのだろうか」
「彩羽一人の力では何もできないだろう。彼は人間に戻りたがっていた。彼が頼るとしたら、それは黒曜公セラフィムじゃないか?」
「……!」
「彩羽の動きを把握できれば、セラフィムの動向も判るかもしれない」
思わず立ち上がった王子の肩をユリウスの手が押さえた。
「とりあえず、カルムの民の判断を待とう。この島にいる限り、彩羽は僕たちを追っては来れない」
見えない眼に黒いユリウスの決然とした顔が見えた気がした。
息を呑み、王子は強くうなずいた。
神託が下るには数日かかる。
ユリウスたちは夏至の日を待つことになった。
* * *
灰色の雲が流れている。
風が吹きすさぶ。
荒れた空模様になりそうなその日、空の影響を受けない地下にその人物はいた。
「赤い石の気配が消えた……」
妖しげな部屋だ。
数多の蝋燭が室内の至る所に揺れている。
「常夏の地が消滅したと出た。それはつまり──」
しわがれた老婆の声でつぶやいたその人物は、気味の悪い仮面をつけ、さらに面紗で顔を覆っていた。
部屋の中央の粗末な木の卓子の上に置かれた水晶玉を見つめていた仮面の人物が、手を一振りすると、ぼうっと光を帯びていた水晶玉から光が消えた。
「リリアからの定期連絡が途絶えたのと何か関係があるのか……いや、まさかな」
不意に、チリン、チリン……と、遠くで鈴のような音が聞こえた。
老婆は大儀そうに椅子から立ち上がり、長い衣装を引きずって、曲がった腰でゆっくりと部屋を出た。
長い階段をのぼり、ようやくその館の一階にたどり着くと、老婆は用心深く隠し扉から出て、応接の間へと向かう。建物の設えや調度を見る限り、一般的な中流の市民の家のようだ。
腰の曲がった仮面の人物が部屋に入ってきたのを見て、応接の間の長椅子に座っていた若い女性が、立ち上がり一礼した。
彼女は薄茶色の髪を男のように短くし、男装をしている。
「お久しぶりです、ガデライーデ」
「ネツァレト殿。何ゆえ、あなた様がここへ?」
老婆──ガデライーデは訪れた女性に椅子に座るよう仕草で告げ、自らも向かいの椅子に腰を下ろした。
「いつもの伝令はどういたした?」
「わたしが報告を受け取ってきました。これです」
ネツァレトと呼ばれた女性が蜜蝋で封をした書をガデライーデに差し出す。皺だらけの手がそれを受け取った。
「ありがとう。ですが、このような天候のもと、わざわざあなた様が自ら来られるまでもなかろうに」
強い風が窓をたたいていた。今にも雨になりそうだ。
「あなたと少し話したかったのです」
澄んだ茶色の瞳でじっと老婆を見つめるネツァレトは落ち着いた声で答えた。
「おやおや。白い都の正規軍の百人隊長のあなた様とわたしでは、ずいぶん畑違いだと思いますが」
ガデライーデは大仰に首を傾げてみせた。
「冬将軍閣下のことです」
「我が君様が何か?」
「閣下は何を企んでおいでなのですか?」
「我が君のお考えなぞ、到底わたしなどには読めませぬ」
真摯なネツァレトに対し、ガデライーデは茫洋とした声で応える。仮面と面紗で顔を隠しているガデライーデの表情が読めないことが、ネツァレトの眉をひそめさせた。
「わたしは一個人として我が君様にお仕えしているだけじゃ。あなた様がお知りになりたいのは、政についてであろう? わたしはそちらには関与しておりませぬ」
「閣下の腹心中の腹心のあなたが何も知らないはずありませんわ。朱夏の魔女に対し、白い都の冬の魔女とも呼ばれるあなたが、閣下にとって、どれだけの影響力をお持ちかはお解りでしょうに」
白い都。
銀の街道とアプア街道の東の交差地点に位置する、大陸最大の都市国家である。
女ながら軍人であり、百人隊長を務めるネツァレトは、白い都の前元首の一人娘であった。
前元首の死後、あとを継いだのが冬将軍と呼ばれる現在の元首だ。だが、前元首は、実は冬将軍によって暗殺されたのではないかという噂が、今でも国内に根強く残っていた。
2024.4.1.