二十年目の夏至

3.

 冬将軍が野心家であることは広く知られている。自らが白い都の元首になったあと、政において前元首の娘を優遇しているのは、前元首暗殺の疑いを払拭するためだろうといわれていた。
 ガデライーデのもとを訪れたネツァレトは、小さく息をついて、話を続けた。
「冬将軍閣下は本気で大陸全土を支配したいとお考えなのですか?」
「……」
「そのための策謀を、あなたと巡らせているのでしょう?」
 仮面の老女はゆったりと首を横に振る。
「このような老いぼれが我が君様の何の役に立ちましょうか。わたしは一介の占い師ですぞ」
「謙遜も過ぎると嫌味ですわ。高等魔術を扱うほどの魔道師が何を仰せです」
「それはあなた様の買い被りじゃ」
 ネツァレトはため息をついた。
「堂々巡りですわね。わたしはただ心配しているとお伝えしておきます。都市国家として繁栄している白い都が、進んで戦争を引き起こす必要はありません。亡き父も、白い都の民が平和に暮らすことを望んでいるはずです」
 ガデライーデの脳裏に前元首の面影がふっと浮かび、消えた。
 前元首もまた、野心家であったとガデライーデは感じている。だからこそ、統率力のあった若き日の冬将軍を「将軍」に抜擢し、北の国に攻め入ったのだ。
「たとえば六花同盟にしても──
「ネツァレト殿」
 ガデライーデはぴしゃりと言った。
「憶測だけでものをおっしゃるでない。それは我が君様にじかにお聞きなされよ」
「……」
 六花同盟は白い都の冬将軍を盟主として、西のタナトニア帝国、東のレキアテル王国の脅威に対し、小国六国が結んだ同盟だ。
 だが、一部の人々は、それを単なる同盟関係とは考えず、同盟とは名目のみ、冬将軍が大陸中央部を手中に収めるための足掛かりとしていると捉えていた。
 同盟国の民の中でも、六花同盟に反対する者は少なくない。
 それは冬将軍の支配への反発だった。
「では、はっきりとお訊きします。大陸各地に極秘裏に密偵を放っているそうですね。いったい何をしているのですか?」
 しばらく躊躇っていたネツァレトは、己が抱いている不審の種を思い切って言葉にした。
「ガデライーデ、あなたが閣下からの直命で動いているのでしょう?」
「そうさ、な……」
 白い都の冬の魔女の、仮面の下の表情は解らない。
 ガデライーデはそれきり無言だった。
 古くからの言い伝えにある。

 四つの宝珠を手にした者
 その者、最強最大の権力ちからを得るものなり
 その者、大陸最大の覇者とならん──

 嘘か誠か、冬将軍はその言い伝えを信じていた。
 彼が大陸中に密偵を放ち、探し求めているのは権力を得るための四つの精霊の宿り石だ。
 しかし、その事実はガデライーデ以外の誰も知らぬことであった。

 ネツァレトを帰したあと、再び地下の部屋に戻ったガデライーデは、はっと小さく息を呑んだ。
 卓子の上の水晶玉に、常人には見えぬ小さな光が宿っている。
「……夏至、の……正午に、注視せよ……?」
 老魔道師は光をそんなふうに読み取った。
 もうすぐ夏至だ。

* * *

「夏至の正午に注視──そう出たのだな?」
 王子ユリウスの問いに年若い方士ははっきりとうなずいた。
「夕べ、星を読みました。夏至の日に何かが起こります」
 二人のユリウスの生まれた日。
 夏至は数日後に迫っていた。
 ネプトゥーヌス神殿の宿舎の食堂は、今の時間、ひと気はない。その食堂の椅子に座り、王子ユリウスはディディルから占星術の報告を受けていた。
 不意に人の気配がした。
「夏至の正午ですと?」
 翡翠色の瞳を伏せたまま、ユリウスが顔を上げると、そこにティトゥスの姿があった。
「失礼、聞こえてしまいました」
「神官長様」
 王子が椅子から立ち上がり、ディディルは少し後ろに下がって控えた。
「ああ、そのままで。お座りください」
「ユリウスは? ご一緒ではなかったのですか?」
「ユリウス殿は魔物にも互角に対応できる剣が欲しいと。今、この島一の刀鍛冶を紹介してきたところです」
「ほう……」
 王子の見えぬ眼がわずかに見開かれた。黒いユリウスも変わりつつある時代への準備を始めている。自分にできることは何だろうと王子ユリウスは考えた。
 老神官長は王子のそばの椅子を引き、そこに腰かけた。
 そして、ディディルにちらと微笑みを向け、王子に顔を向けた。
「ディディルは優秀な方士ですな。先程、ネプトゥーヌスの神託が下りました。そこにもやはり、夏至、正午、の言葉がありましてな。それを早くお伝えしようと、ユリウス殿と別れて、こちらに参った次第です」
「そうでしたか」
「レキアテル王国へは?」
「黄珠を使いに出し、文を送りました。魔物に対し、しかるべき備えをするでしょう」
 ティトゥスはうなずいた。
黒紙文書こくしもんじょ白紙文書はくしもんじょのほうは、もう少しお待ちくだされ」
「はい。ご助力、感謝いたします」
「なんの。沈黙の封印が解かれたのであれば、それは誰しも他人事ではありませんからな」
 ティトゥスは窓越しに見える青い空に視線を投げた。
 ディディルもそれに倣う。
 王子ユリウスは、何かを探るように考えるように眼を閉じていた。

* * *

 大陸南部・ヴァルカン地方の国、カヌア侯国。
 その小さな村の森に囲まれた小高い丘の上に、小さな神殿がある。火神・ウゥルカーヌスの神殿である。
 その神殿に向かって駆けてくる一匹の白っぽい犬がいた。
 中型犬くらいの大きさだが、まだ子供らしくある。
「わんっ」
 その犬はひと声鳴いて、背後を振り返った。
「わんっ、わんっ」
「これ、老体を急がせるものではない」
 ぜいぜいと息を切らして犬を追いかけてきたのは、枯れ木のように痩せた老人だ。
 色褪せた巡礼の装束をまとい、だが、濃い灰色の髪には巡礼の頭布を巻いていない。大きな革袋を担ぎ、手に太い杖を持っている。
 いつだったか、霊峰群の山間の村で巡礼のユリウスと出会い、天狼師と名乗った彼は、“自称”魔道師だ。
「これ、シリウス。わしは年寄りなんじゃ。もっと労わらんか」
 シリウスと呼ばれた犬は大きく尻尾を振り、老人のもとへ駆け寄り、さらに進むことを繰り返した。そうしているうちに、やがて、老人と犬はウゥルカーヌス神殿まで辿り着く。
 小さな神殿は閑散としており、ひと気はない。
「参拝しろと言うておるのか? やれやれ、おまえに信仰心があるとは思えんが」
 シリウスは嬉しそうに老人を見上げ、尻尾を振っている。
「すっかり懐かれたもんじゃ。パンをやっただけなのに、こう幾日もついてくるとはの。よほど腹を空かしていたと見える」
 そんな野犬に対し、名までつけているのは、天狼師のほうも犬に愛着が湧いているのだろう。
 どっこらしょ、と老人が木陰へ荷を下ろそうとしたとき、また犬が駆け出した。
「少し休ませてくれんかのう」
 ため息をつきつつ、それでも天狼師は根気よく犬を追いかけ始めた。

 神殿の裏まで廻ってきて、シリウスはようやく立ち止まった。
 ある場所の地面をじっと見つめている。
「なんじゃ、ここで終わりか」
 今度こそ天狼師は荷物を下ろし、やれやれと地面に腰を下ろした。
 だが、シリウスの目的はここからだったようだ。
 座り込んだ天狼師が荷の中から皮の水袋を取り出し、水を飲むそばで、猛烈な勢いで地面に穴を掘り始めた。
「これ、シリウス、何をしておる」
 呆れ果てる老人を尻目に穴を掘り続けていたシリウスは、しばらくして、小筐をひとつ掘り当てた。小筐には何やら文字がびっしりと彫られている。
 野犬のしたいようにさせていた天狼師が、ふとそれに気づいた。
「何じゃ、それは。神代文字のようじゃの」
「わう」
 シリウスは土に汚れた鼻先で、その小筐の匂いを嗅ぐ。
 ひょいと横からそれを取られた。
「わぅう……」
「怒るな。おまえでは開けられんだろう。どれどれ……ん? もしかしてこれは、封印文字か?」
 曰くありげに封印の呪文が施されている小筐。
 手に取った土まみれの木の小筐に向ける天狼師の目の色が変わった。
 ──胸騒ぎがする。
 簡単な鍵がかけられていたので、その部分は容赦なく杖で叩き壊した。封印文字そのものは物理的な力に対しては意味をなさない。
 小筐の中から出てきたものは、美しい赤い宝石が象嵌された、幅の広い優美な銅の腕輪であった。

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2024.5.28.