人面瘡 [壱]
その日は、村の近くに定期市が立つ日だった。
「母さん、あたし、ちょっと市へ行ってくる」
村の一軒の民家から出てきた十四、五歳に見える娘が、家の中に向かって呼びかけた。
「ああ、だったら、小梅、耕太さんと行ってきたら?」
「う、うん」
中から母親の声が返ってきたが、小梅と呼ばれた娘はうやむやな返事をし、浮かない表情で、そのまま一人で市へ向かった。
耕太というのは隣村に住む彼女の許婚だ。
* * *
定期市は町へと続く街道沿いに立っていた。
すでに多くの人が訪れており、賑わっている。
そこへやってきた小梅は、きょろきょろと歩いてあちこちの店を見て廻っていた。野菜や魚といった食料品をはじめ、反物、履き物、小間物などに至るまで、様々な品がある。
そんな中、若い娘が群がっている店があった。
気になった小梅が娘たちの後ろから覗いてみると、ちょっといないほど秀麗な顔立ちの青年が客の応対していた。並べられている反物はどれも趣味がいい。
「……」
なんとなく立ちつくしてその店の様子を見ていると、
「何か探してるのか?」
横から話しかけられた。
「えっ……」
そちらを見た小梅は思わずどきっとなった。
声をかけてきたのは彼女と同じくらいの年頃であろうが、こんな奇麗な少年は初めて見る。
「気になる品があればとってきてやるよ。反物のほかに帯や小物もあるし」
「え、あたし──」
言いかけて、彼女ははっとした。
「眼の色が……」
「ああ」
少年の眼の色が青い。
彼は感じのいい笑顔を見せた。
「青いだろ? おれたちには遠い異国の血が混ざってるんだ」
青い眼の少年が店を振り返ると、店で客をさばいている青年の束ねた髪も赤みを帯びていることに小梅は気づいた。その傍らで商品を整理している二人の少年の髪もまた然り。
「おれは碓氷」
濃藍の短い髪に藍色の瞳を持つ少年は人懐っこく言った。
「連れは? 一人で来たの?」
「え……あたしは、その、薬草を……」
内気な小梅はしどろもどろになる。その背後から、出し抜けに別の明るい声がかけられた。
「碓氷ー、そろそろ店番交代」
そこにやってきた少年もまた、青みを帯びた髪に青い瞳、碓氷に負けず劣らず見目好い容姿をしている。
「あれ、お客?」
少年は小梅を見てにっこりした。
小梅はどぎまぎとなる。
「いや、薬草だっけ。薬草はうちにはないな」
そう碓氷が言うと、もう一人の少年は、いま来た方向を振り返って指を差した。
「薬草なら、確か、あそこを右へ曲がった辺りで売ってるところがあったぜ?」
「あ……ありがとう。行ってみる」
小梅は二人の少年に礼を言って、そそくさと立ち去りかけた。
「あとで、気が向いたらうちの品も見に来てよ」
気軽に言って手を振る碓氷へ思わず小梅も手を振り返したが、途端に彼女ははっと赫くなり、身を翻した。
短い髪の碓氷に対し、二人目の少年は、肩よりは短い紺藍の髪を後ろでひとつに結わえている。彼──甲斐は、不思議そうに碓氷を見遣った。
「なに、あの子が気になるのか?」
「なんかさ、この世の終わりみたいな顔してたんだよ、あの子」
物思わしげに眉をひそめ、碓氷は小梅が去っていったほうへ心配そうな視線を投げた。
薬草を扱う店は程なく見つかった。
小梅はしばらく躊躇っていたが、客が途切れるのを待ち、両手を握りしめて、その店の商人に話しかけた。
「すみません、毒薬ってありますか?」
「毒薬?」
商人は不審そうに小梅を見た。
「何に使うんだい?」
「えっと……その、害獣駆除」
「うちは人間の薬草を扱ってるんでねえ、その手のものは──」
「人間用でいいです」
「人間用でいいって……」
商人はぎょっとしたように眼を見開いて思いつめた様子の少女をまじまじと見つめた。
「嬢ちゃん、どんな害獣を殺す気だい? うちは薬を商ってるんだ。そんな物騒なものは置いてないよ」
「そうですか……」
しょんぼりとなった小梅は、大人しく商人に頭を下げて、別の店を探して廻った。
だが、毒薬を扱っている店は市にはなかった。
人混みの中、途方に暮れたようになる、そんな小梅に声をかけた者がいる。
「姉さん、さっきからずっと何か探しているようだが、どうしたんだね」
振り返ると、旅装束に身を固めた痩せた男がいた。
「えっ、あの──」
「何か力になれるかもしれんよ」
しばらく困ったようにうつむいていた小梅は、思い切って顔を上げ、実直そうなその男の顔をじっと見た。
「毒薬を探しているんです」
「毒薬? なんでそんなもん……」
「どうしても要るんです」
男は妙な顔をしたが、ゆっくりと掌で頬を撫で、考えるように言った。
「そうだな。この先の町まで行けば、手に入るかもしれんな」
「町へ? でも、あたし、町へ行ったことなくて……」
「ちょうどわしは町へ帰るところだ。一緒に行ってあげよう」
「でも……今日中に家に帰れるかどうか……」
「すぐ出発すれば大丈夫だろう。さ、それじゃあ、急ごうか」
「え……」
勝手に話を決めてしまう男に困惑した小梅は、周囲を見廻したが、買い物に熱心な人々は、誰も小梅のことなど気に留めていない。
「すみません、あたし、手持ちが少ないから、やっぱり──」
「すぐに働いて銭を得られる場所もある。心配せんでいいよ」
「……」
得体の知れない怖さを感じたが、断りきることができなかった。
彼女は半ば強引に旅装束の男に連れられ、町へと向かうことになってしまった。
* * *
大きな町には娼家がある。
町外れに瀟洒な建物が数軒並んでいる、そんな郭の中の一軒に、浮き島の里からやってきた角のない鬼──童子たちの一行の姿があった。
十四、五歳になった少年たちに人間世界を体験させるため、彼らはここにいる。
今回は里長の駿と里長の補佐を務める柾が四人の少年を引率し、昼間は定期市を体験させ、夕刻、町の郭にやってきたのだ。
そんな娼家の裏庭で、浮き島の少年・甲斐と碓氷が話し込んでいた。
「市は面白かったな。いろんな人間がいたし、客と話すのも楽しかった」
「客って言ったって、駿さん目当ての女がほとんどだったけどな」
はは、と二人は笑い合った。
「人間って、見た目はおれたちと変わんねえなー」
「ってか、なんで胡蝶は別行動なんだよ。折角、駿さんに頼み込んで一緒に連れてきたってのに」
思い出したように愚痴をこぼす甲斐に、碓氷は苦笑した。
「そりゃそうだろ。今夜は郭に泊まるんだぜ? どう考えても胡蝶は場違いだ」
「そうだけどさ、八尋さんが胡蝶と一緒ってのがさ」
「それだって、八尋さんが郭に来るのを胡蝶が気にしてたから、仕方ねえよ。今回は諦めな」
室内にいた仲間の少年が二人を呼びに来た。
「甲斐ー、碓氷ー。夕餉の準備ができたってよ」
「おう」
しゃがみ込んでいた二人の少年は立ち上がる。
「行こうぜ、碓氷」
「ああ」
甲斐に続いて立ち上がり、碓氷も建物に入ろうとしたが、ふと、彼は立ち止まり、背後を見遣った。
「どうかしたか?」
「いや──でも、先に行っててくれ」
甲斐だけ仲間たちのもとに帰し、碓氷は裏庭を見渡した。
何か聞こえたのだ。
(泣き声?)
この庭で?
碓氷はゆっくりと歩いて庭の端に置かれた物置小屋のそばまで行ってみた。
か細い泣き声はそこから聞こえる。
「誰かいるのか?」
がらっと勢いよく戸を開けると、中にうずくまっていた人物がびくっとなった。
そろそろ薄暗くなる時刻であり、物置小屋の中は暗かった。だが、夜目がきく童子の碓氷は、そこにいる人物がはっきりと見て取れた。
「おまえ……昼間の……?」
怯えたように碓氷を見上げているのは、昼間、定期市で出会った少女だった。
「この郭の人間だったのか? おれのこと、覚えてねえ? 昼、市で会った──」
「……」
碓氷は、物置小屋の中でうずくまり、硬直している少女のそばまで行き、彼女を安心させるようにそこにしゃがみ込んだ。
「どうしたんだ? なんで泣いてるの?」
「……」
「名前は?」
少女は手の甲で涙をぬぐい、掠れた声を出した。
「……あんた、この店の人?」
「いや? 名前、教えてよ」
「……小梅」
「小梅か。おれは碓氷。覚えてねえ?」
覚えてる、と、小梅はうつむいて小声で答えた。
「いったい何があったんだよ。小梅はこの町の人か?」
小梅は小さくかぶりを振った。
「帰り方がわからない……」
「え?」
「あたし、知らない男に、この店に売られたの」
「えっ、なんで?」
事情が解らない碓氷は頓狂な声を上げた。
2025.3.22.