人面瘡 [弐]

 涙がとまらない少女を、碓氷は自分たちの部屋に連れていった。駿や柾は驚いたが、店の遣り手には、知り合いの娘がいたから話がしたいと適当に話をつけてくれた。
 碓氷は駿とともに、泣きじゃくる小梅をなだめ、夕餉の膳を勧める。
 本来、夕餉には遊女たちが同席し、唄や舞を披露してくれるはずだったが、それも断り、残りの少年たちの食事の相手をしてくれるおんなを三人だけ頼んだ。
 続き間を隔てた戸の向こうで、こちらを気にして、そわそわと膳に向かう三人の少年たちの様子が手に取るようだ。少年たちには初めて接する胡蝶以外の人間の女への照れもあるのだろう。
「じゃあ、店の人から逃げて、物置に隠れてたのか?」
 小梅からだいたいの経緯を聞いた碓氷が眉をひそめた。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
 しゃくりあげながら、小梅はつぶやく。
「でも、じゃあ、小梅は遊女になるのか?」
「そんなの無理……」
「店にはおれが話をつけるよ」
 ほっとため息をついて、駿が前髪をかき上げた。
「で、本当のところ、小梅ちゃんは誰を殺したかったの?」
 小梅はびくっとなる。
 碓氷が驚いて駿を見た。
「駿さん?」
「だって、そうだろ。本当に害獣駆除なら、娘が一人で市に毒薬を買いになんて来ないよ。村の男たちが協力して退治しようとするだろう」
「そりゃあそうかもしれないけど……」
 小梅は硬くなってうつむいたままだ。
「おれにも毒草の知識くらいあるよ、小梅ちゃん。烏頭うずとか、ハシリドコロとか」
「……でも、お代が払えません。人買いの男に、持っていた銭を取られてしまったから」
 顔を伏せたまま、蚊の鳴くような声で小梅は答えた。
「ああ、お代なんかいいよ。乗りかかった舟だ。これも、こいつらにはいい経験になるだろう」
「でも……」
「駿さんは頼りになるよ。信頼してよ、小梅」
 小梅は駿と碓氷に深く頭を下げた。
「あの、あたし……」
 出会ったばかりのこの男たちに、どうして、本当のことを打ち明けようと思ったのか、小梅自身にもよく解らなかった。誰にも相談できずに今日まできたが、一人で問題を抱えているのがもう限界だったのかもしれない。
 小梅はごくりと唾を飲み込んだ。
「化け物を……殺したいんです」
「化け物?」
「あたしの身体に……」
 そのとき不意に、キキキッ、と妙な笑い声がした。
「小梅?」
 咄嗟に、蒼ざめる少女の腕を駿が掴み、そのまま体勢を崩した彼女の小袖の裾を膝までまくった。
──っ!」
 碓氷は愕然として息を呑む。
「小梅──それヽヽ……」
「柾」
 厳しい声で駿が隣室の童子を呼んだ。
「どうした、駿?」
「妓たちを下がらせろ。悪いが、酒肴はまた今度だ。それと、紙と筆を用意してもらえ」
「解った」
 柾は戸板越しに答え、何も訊かず、駿の指示に従った。
 遊女たちが戸惑ったように退出していく物音が聞こえる。
「あたし、化け物になったの……!」
 小梅は泣き崩れた。
「化け物を殺さなきゃ……でも、どうすればいいのか……」
 碓氷はまばたきもせず、裾をまくり上げられた小梅の左の膝頭を凝視した。
 ──顔?
 否、複雑に皺のよった腫物か。
 ひきつった笑いを浮かべたような、人間の顔、としか言いようのないものヽヽが膝小僧にある。
 その顔が、キキッ、と奇妙な声で笑った。
「ひっ……!」
「落ち着いて、小梅ちゃん。大丈夫だから」
 静かな声で少女を落ち着かせようとする駿に動じた様子はない。
「駿さん、これは──
「人面瘡だ」
「じんめんそう?」
「人間の身体に寄生する妖怪だよ」
「い──痛い」
 少女は涙をぬぐいながらつぶやいた。
「食べ物をもらってもいいですか」
「いいよ」
「これが食べ物を要求するとき、膝が痛むんです」
 小梅は夕餉の膳の箸を取って、口らしきものを開ける膝のその場所に飯を運んだ。
「いつから寄生されてるんだ? こいつは飯を運ばせるだけじゃない。宿主の栄養もどんどん吸い取っていく。生命に係わるよ」
 静かに諭す駿の傍らで、碓氷は唖然と、異形の膝の生き物に食べ物を与える少女の様子を見守っていた。
「……半年くらい前、異常に気がついたの。最初は肩だった」
「肩? それはどうしたの?」
「怖くて、気味が悪くて、自分で潰そうとした」
 小梅は箸を置き、小袖の衿元をくつろげて、左の肩を二人に見せた。
「……っ!」
 肩は焼けただれたように醜く引きつり、赤黒い傷跡が痛々しく残されていた。
 駿は冷静に彼女の肩の状態を確かめた。
「切りつけた?」
「はい。こんな禍々しいもの、誰にも見せられなくて。包丁で切り取ろうと」
「小梅、自分でやったのか?」
「うん……」
 そんな言葉を嘲笑うように、小梅の左膝の人面瘡は、ケケ、と小さな声を上げた。
「ひどい怪我を負ったけど、肩の化け物は殺せたと思ってました。でも、しばらくしたら、膝がこうなって……」
「寄生していた人面瘡が肩から膝へ移動したんだよ。表面を削り取っても、根は残る」
「刃物で殺せなかったから、今度は毒を使おうと思ったんです」
 必死に涙を拭いて嗚咽をこらえる少女から碓氷は眼を逸らした。
「ひどいな……」
 ため息のように碓氷が洩らすと、駿もうなずく。
「これは可哀想だ。人面瘡を退治しなくては」
「できるの?」
「試してみよう」
 深刻な雰囲気に、戸の向こうでは柾と他の少年たちが聞き耳を立てているようだ。
 駿は自らの髪を一本切り、膳の上の盃に徳利の酒をついだ。
「痛むかもしれない。碓氷、小梅ちゃんを押さえていて」
「う、うん」
 うなずいた碓氷が小梅の背後に廻り、彼女の身体を羽交い締めにして固定すると、駿は盃を手に取った。
「いくよ」
 そして、小梅の膝の醜い“顔”の口に酒を注いだ。
 小梅の足がぴくっと震える。
 もっと欲しいというように膝の口が開かれると、そこに一本の髪の毛を垂らす。鬼の妖気を帯びた髪の毛が“口”に入ると、それはぱくっと喰いついた。
「っ!」
 碓氷に押さえられる小梅が痛みに耐えるように顔をゆがめ、身じろぎをする。
「少し我慢して」
 そう言って、駿は人面瘡の“口”が喰らいついた一本の髪の毛をゆっくりと引き上げた。あたかも“それ”を釣りあげようとするように。
──!」
 碓氷が眼を見張る。
 少女の膝から、ずるずると赤黒い肉塊が引き出されてくる。
 おぞましいその光景に、碓氷に抱きかかられる小梅は、震えながら、ぎゅっと眼を閉じて唇を噛みしめていた。
 髪の毛に食らいついた異形のものはそのまま引きずり出されるかに見えたが、あと少しというところで、“口”はぺっと髪を吐き出してしまった。
「……ただの酒じゃ駄目か」
 駿が小さく息をつく。
「毒草を探そう。小梅ちゃん、しばらくここに滞在できるか?」
「え、あの……」
「大丈夫。あんたの家には何か理由をつけて使いを送る。人面瘡をこのまま放っておくと、あんたは衰弱して死んでしまうよ」
「……」
 身体を震わせる小梅の涙を浮かべた瞳が、恐怖の色を湛えている。
 駿は彼女の小袖の裾を直し、衣の乱れを直してやった。
「碓氷。この子を介抱してやってくれ」
「あ、はい。駿さん」
「駿、さん──
 駿の名をつぶやき、小梅は不安げに彼を見つめる。彼女を力づけるようにうなずいてみせた駿は、手を伸ばし、労わるように少女の頭を撫でてやった。

 その夜は小梅をゆっくりと休ませるために、浮き島の一行は遊女たちの伽を断った。代わりに長逗留になるかもしれないと、遣り手に心付けを渡す。
 感じのよい若い男たちを上客と踏んだ遣り手は彼らに愛想がよかった。
 翌日、駿は少年たちと柾に事情を説明した。
 小梅は隣室で眠っている。
 心身ともに疲弊している彼女を深い眠りに就かせるため、駿は妖気や精気を喰らう真朱まそおの鳥に、彼女の“気”を少し喰らわせたのだ。
「そういうわけだから、少し予定が狂う。おまえたちにも協力してほしいんだ」
「何でもするよ。真尋の好きな人助けだ」
 少年たちを代表して碓氷が言うと、駿はうなずいた。
「手分けして毒草を探してほしい。人間界のものじゃない。妖の花だ」
「妖の?」
「おれたち妖の間では、貝覆いと呼び馴らわしているものだ」
「貝覆い?」
 甲斐が首を傾げる。
「それって、身分の高い人間の遊びのことじゃ……」
「おまえ、そんなものよく知ってるな。だが、同じなのは名前だけで、山野に咲く妖怪の花だ」
 駿は、昨夜、用意させた紙と筆を使って描いた絵を少年たちに見せた。そこには一輪の花の姿が描かれている。
「薄い緑色をした花びらが下向きに咲いている。鱗茎が二枚の貝を合わせたような形をしているから、貝覆いの名がある」
 少年たちは駿が描いた絵を順番に回して、しげしげと見つめた。
「可憐な花だが、強い毒を持っている。やってくれるか?」
「もちろん」
「任せて、駿さん」
 少年たちが口々に言うと、駿は柾のほうを見た。
「柾はあの子の家へ行ってくれ。……事情は話せないな。だが、小梅は無事だということを伝えてくれ」
「解った」
「小梅にはこの部屋で待っていてもらう。でも一人にはしておけないから、碓氷、おまえがあの子に付き添ってろ」
「いいよ」
 駿は甲斐たち三人の少年に視線を向けた。
「おまえたち三人には真朱を伴わせる。真朱たちが貝覆いの妖気を探し出せるはずだ」
「真朱を? でも、駿さんのと柾さんのと、二羽しかいないけど……」
 真朱は童子に付き従う妖の鳥だ。今回も、大人たち──駿、柾、八尋の三人が、それぞれ自分が妖気を与えている真朱の鳥を一緒に連れてきている。
「八尋の蘇芳を借りよう。あかつきに呼びに行かせる」
 駿が開け放たれた窓を振り返ると、外の木の枝にとまっていた尾花のような長い尾の朱い鳥がふわりと駿のもとへ飛んできた。駿が従えている暁だ。
 その足に、八尋へ宛てた短い文を結ぶと、鮮やかな鳥は大きく羽ばたき、窓の外へと飛び出していった。

≪ 壱   参 ≫ 

2025.5.11.