人面瘡 [参]

「旦那、いらっしゃいますか?」
 浮き島の童子たちが泊まっている部屋を、郭で一番人気の遊女が訪れた。
 名を初音という。
 夕べ、駿は少年たちの監督を柾に任せ、ちゃっかりとこの初音の部屋で過ごしていた。
「ああ、いるよ」
 柾や少年たちはもう出かけていたが、奥の続き間にいた駿が出てくると、初音は美しい顔に笑みを浮かべ、頬をほんのりと朱に染めた。
「湯とさらしを持ってきました。これでいいですか?」
「ありがとう」
 初音は持っていたさらしを駿に渡し、連れてきた下女に湯を満たした盥を部屋の中まで運ばせた。
「しばらく滞在してくださるんでしょう、旦那? ご用があれば何でも言いつけてください」
「とりあえずこれでいいよ」
「……今宵も、部屋で待っていますから」
 艶めかしく駿にささやき、唇を差し出す。それに応えて駿が彼女に軽く唇を合わせると、初音は名残惜しそうに彼に流し目を送って、部屋を出ていった。
「さて」
 駿は懐から真朱色の羽根を二枚取り出した。
 奥の間から碓氷がひょいと顔を出す。
「駿さん、何をする気なの?」
「ああ、これな」
 取り出したその羽根を、彼は床に置かれた盥の湯に浸した。
「小梅の精気を吸わせた暁の羽根だ」
 そして、初音が持ってきたさらしを碓氷に手渡した。
「熱で羽根に含まれた妖気が湯に溶け出す。その湯にさらしを浸して、湿布の要領であの子の肩に巻いてやれ」
「肩に?」
「小梅の“気”とおれの妖気が混ざっている。それを肌にしみ込ませることで、傷跡の皮膚の再生を促すだろう」
「へえ……」
 碓氷はさらしと湯に浸した朱い羽根とを見比べた。
「すげえや、駿さん! そんなことができるんだ」
「あの傷跡は若い娘には可哀想だからな」
 小梅のことは碓氷に任せ、程なく駿は、毒草を探しに行かせた少年たちの様子を見るために出かけていった。
 貝覆いを探す少年たちは近隣の山へ行っているはずだ。町から山までは距離があるが、童子たちにとってはどうということはない。
「あ、小梅。起きた?」
 奥の続き間に延べた寝床で人の動く気配に気づいた碓氷は、戸を開けて声をかけた。
「……ごめん、ずいぶん寝過ごした」
 寝床に上半身を起こし、小梅は恥ずかしそうに小さな声で答えた。
「疲れてんだよ。膝は平気か?」
「うん。でも、久しぶりにぐっすり寝られた気がする。話を聞いてもらったおかげかな」
 小梅は立ち上がって衣の乱れを直し、夜具を丁寧にたたんだ。
「皆さんは?」
「もう出かけた。朝飯、食べるだろ? 簡単なものだけど」
 碓氷は布巾をかぶせた皿を彼女のもとに運び、そこに腰を下ろした。
 皿には握り飯が二つと漬物が載っている。
「ごめんなさい、厄介かけて。せっかく郭に来ているのに、あたしがいたら、皆さんが遊べないね」
「気にするなよ。長逗留するみたいだし、おれたちは時間があるから」
「ありがとう」
 碓氷から握り飯の皿を受け取った小梅は、少しもじもじと、遠慮気味に食べ始めた。
「……碓氷」
「なに?」
「あたしのこと、気味悪くないの?」
「え?」
 碓氷は不思議そうにまばたきをする。
「駿さんもそうだけど、あたしの膝を見ても、化け物だって驚かなかった」
「おれ、驚いたけど」
「そうじゃなくて、こんな膝をしていたら、あたし自身が化け物だと思うでしょ?」
「あー」
 碓氷はうやむやに言って頭をかく。
「退魔とかやってる仲間もいるから。比較的、妖の類に慣れてんだよ、おれたちは」
 まさか鬼である自分たちも妖だからとは言えず、そんなふうに誤魔化した。
 握り飯を食べながら、小梅は控えめに碓氷を見つめる。──化け物扱いされなかったことが嬉しかった。
「……てか、半年も一人で耐えて、ずっと頑張ってたんだな」
 しみじみと言う碓氷の言葉に、思わず小梅は涙ぐんだ。誰にも言えず、ずっと一人で何とかしようと耐えてきたのだ。人に知られたら──膝が元に戻らなかったら──そんな恐怖とも戦ってきた。
「何で、誰かに相談しなかったんだ?」
「だって、誰にも言えないよ……」
 思いつめたように小梅はつぶやいた。
 そして、唇を噛む。
「こんな膝になって、傷物になったこと、知られるわけにはいかないから」
「?」
 碓氷は小首を傾げた。
「あたし、許婚がいるの」
「へえ」
 どこか思いつめた小梅の様子とは対照的に、碓氷は興味深げに身を乗り出した。
「恋ってどんな感じ?」
「へ?」
 きょとんとする小梅に、無邪気に碓氷は言葉を続ける。
「つまり、恋人がいるってことだろ? おれ、恋したことないから、どんな感じかなって」
「……」
「甲斐が……あ、親友がさ、恋してるんだけど、相手の顔を見るだけでも楽しそうでさ。なんか、いいなって。小梅も楽しい?」
 小梅は困ったようにうつむいて首を振った。
「恋とか、よく解らない」
「どうして?」
「名主様が決めた許婚だから」
 彼女の許婚の耕太は、隣村の名主の息子だった。
 彼女の村と隣村は、名主同士が縁続きで仲がいい。
 一年ほど前、こちらの村の名主を訪ねてきた耕太に見初められ、小梅の縁談は決まったのだ。
 耕太はいつも穏やかで小梅にやさしかったし、隣村には不作のときなど助けてもらっている。村同士のためになるなら、そして周囲が喜ぶなら、耕太に嫁ぐことに小梅はなんら異存はなかった。
「でも、嫁ぐ前に肩にあれができて、もうどうしていいか判らなくなって」
「祝言はいつ?」
「年が明けたら」
 耕太や家族や村の人たちに化け物だと思われたくない。
 狼狽え、悩んだ末に、自分で肩の人面瘡を抉り取ってしまったのだ。
「とにかく嫁ぐ前に化け物を殺さなきゃって、そればっかり思いつめて……」
「なるほどなぁ……」
「耕太さんのことはやさしくていい人だと思ってるけど、これって、恋とはちょっと違うよね」
「ふうん」
「恋ってもっと、相手にときめいたりするものでしょう?」
「そっか」
 小梅が食べ終えると、碓氷は立ち上がって、隣室にさらしを取りに行った。
「じゃあ、片肌脱いで」
「えっ?」
 突飛なその言葉に、小梅は驚いてぽかんとした。
「な……なに?」
「左の肩を出して。湿布するから」
 碓氷は駿が用意した真朱の羽根を浸した湯にさらしをつけて、それを硬く絞る。
 そうして、もう一度、続き間にいる彼女のほうを振り返った。
「ほら、早く。肩の傷跡を消すためだよ。嫁入りするなら、なおさら、傷跡が消えたほうがいいだろ?」
「でっでも、そんなこと……」
 小梅は真っ赤になって、うつむき、両手で衿元を押さえた。
「……無理。できない」
 昨日、駿と碓氷の前で咄嗟に肩を出して、傷跡を見せたが、あれはひどく混乱していたからこそできたことだ。自分と同じ年頃の少年の眼前に肌をさらすなど、普通に考えて恥ずかしい。
 赫い顔で困惑しきりの少女を見て、ようやく、碓氷は夫でも恋仲でもない男が、年若い娘に肌を出せと無理を言っていることに気づいた。
「いや、その、他意はねえよ。傷跡の治療だから」
 小梅はそっと彼を見た。
 つられて赫くなった少年が出し抜けに目を泳がせる様が、彼の真面目さを物語っているようである。
「……」
「……」
 緊張する。
 心臓がどきどきする。
 それは目の前の少年も同じだろう。
 小梅は恐る恐る小袖の衿をくつろげ、左の肩を出した。
「あ、あの。湿布……お願いします」
 緊張で声が固くなる。
「う、うん」
 碓氷のほうも同様だ。
 なるべく小梅を見ないように、見ないように、碓氷は絞ったさらしをぎこちない手つきで、それでも丁寧に彼女の肩に巻いた。
「い、痛い?」
「ときどき疼くけど、今は痛くない」
「そうか……」
「うん……」
 そのあとは、何となく会話が途切れた。

≪ 弐   肆 ≫ 

2025.7.5.