人面瘡 [肆]
その日は、貝覆いを見つけることができなかった。
小梅は落胆したが、それよりも少年たちに徒労をかけたことを心苦しく思っているようだ。そんな少女を浮き島の少年たちは口々に慰めた。
「そもそも一日で毒草が見つかるとは思ってねえよ」
「そうだよ。駿さんも、今は貝覆いが咲く季節じゃねえって言ってたし」
花の香りが妖気を放つ。
真朱の鳥たちが貝覆いを見つけるには、花が咲いていなければ難しい。
翌日もまた同じように、駿と碓氷以外の童子たちは貝覆いを探しに行き、小梅は碓氷と二人で娼家の部屋で吉報を待っていた。
真朱の妖気による肩の湿布は今日も続けた。
小梅の酷い傷跡は、確かに薄くなっている。
「もし、化け物を殺せなかったらどうしよう……」
不安を隠せない表情で、ふと小梅はつぶやいた。
「あたし、化け物扱いされて、祝言どころか、村にもいられなくなるかもしれない……」
「小梅……」
小梅の言うように、妖怪に無知な人々なら、人面瘡という妖に寄生されたのだと説明しても、小梅自身が化け物になったと誤解するだろう。
どちらにしても気味が悪い現象だ。
そうなれば嫁になどいけないし、当然、村にも居場所がなくなる。
どうしても人面瘡を退治しなければならない。
だが……
(もし、貝覆いが見つからなかったら)
碓氷もまた、一抹の不安に捕らわれた。
「……じゃあさ」
少しうつむいて考えると、言葉が自然とこぼれ出た。
「おれたちの里へ来れば?」
「えっ……?」
思いつきで言った言葉だったが、それが名案のように思えて、碓氷は身を乗り出した。
「そうだよ。里には妖怪に詳しい医者が二人もいるし、貝覆いがなくても、人面瘡を退治する方法が見つかるかもしれねえし」
「碓氷の里?」
「うん。浮き島の里。浮き島でなら、人面瘡に寄生されてても、誰も小梅を化け物なんて思わねえよ。小梅の意思で恋だってできる」
小梅は唖然と大きく眼を見開いた。
考えたこともなかったのだ。
自分が知っている村以外の別の場所へおもむくなど。
「……」
そして、恋ができる?
恋することへの憧れは勿論ある。
例えば碓氷と──目の前にいる、この親切でやさしい、奇麗な少年と恋愛する可能性だってあるのだろうか。そんな夢想をしてしまい、思わず頬が熱くなって、うつむいた。
「ただ、とても遠いところにあるから──」
やや困ったように続ける碓氷の言葉に、小梅ははっと我に返る。
「二度と里帰りはできねえけど」
「え……」
里帰りができないほど遠い場所。
それは小梅には想像もできなかった。
「とにかく、おれ、駿さんに相談してくる」
「えっ、あの──」
碓氷はあっという間に立ち上がり、小梅が何か口をはさむ間もなく、部屋を飛び出していった。
「……」
少女はどぎまぎと、その後ろ姿を黙って見送るしかなかった。
今しがた、初音の部屋から出てきた駿を碓氷は捉まえた。
「ん? どうした、碓氷。小梅に何かあったのか?」
「そうじゃねえよ」
彼は、駿をひと気のない裏庭まで連れ出した。
「あのさ、駿さん。小梅をさ、浮き島へ連れていくってのはどう?」
「浮き島へ?」
「うん。もし、貝覆いが見つからなければ、あの子は人間世界にいられないだろう?」
息せき切って言う少年を、駿は真面目な顔でじっと見た。
「でも、浮き島の掟は知ってるよな? 今は嫁取りの時期じゃない」
「そうだけど、でも、胡蝶がいるだろ? 今後は胡蝶みたいに一人ずつ人間の女を迎えるようになるって聞いてるよ」
初めて浮き島の里に単独で連れてこられた胡蝶は、八尋の監視下に置かれている。
それは、今後、人間の女を一人ずつ里に連れてきても、童子たちの秩序が乱れることがないか試しているのだ、というのが里の者たちの共通の認識だ。
たった一人の女性をめぐって童子たちが争い、里に不和が生じてはならない。
勝手に胡蝶を口説くことが禁じられているのはそのためだ。
「碓氷」
駿はぽんと少年の肩に手を乗せる。
「確かにそういう側面もあるよ。胡蝶は鬼を無理なく受け入れた。彼女みたいに根本的に浮き島童子と相性のいい娘がいたら、その都度、里に迎えてもいいんじゃないかってね」
「だったら……」
「だが、そうでない人間もいる。人間にとってあくまでも鬼は妖だ。妖と知れば、あの子はおれたちを怖がるんじゃないか?」
「かもしれないけど……」
碓氷は躊躇った。
「それに浮き島へ連れてきていいのは、身寄りがなく、人間界に未練のない女と決めている。あの子には家族がいるだろう? おれたちが小梅を人間界から引き離すことはできないよ」
ゆっくりと諭すように言われ、碓氷は考え込むようにうつむいた。
もし、逆の立場だったら──里の皆と二度と会えなくなる土地へ、一人で移り住むなど想像もできない。
彼は小さくうなずいた。
「そっか……そうだね、決めるのは小梅だ」
吹っ切れたように言って、駿を見上げる碓氷の頭を、口角を上げた駿の手がぽんぽんと軽くたたいた。
そのとき、一陣の風が吹いた。
その風に乗ってきた、鮮やかな朱い色彩がふわりと駿の肩にとまった。
「──暁」
真朱の鳥が帰ってきたのだ。
* * *
妖の花・貝覆いを求めて、三人の少年たちは昨日とは別の山に分け入っていた。
手分けして探していると、妖花の匂いに反応した真朱たちが、一輪だけ咲いていた花へと皆を誘導した。そうして合流した少年たちは、貝覆いを見つけた合図として、一足先に暁を駿のもとへと帰したのだ。
柾も一緒に娼家へ戻ってきた少年たちは、駿が初音に用意してもらった品々で、妖怪退治の準備を手伝った。人面瘡退治には、小さな鐘のようにうつむいて咲く可憐な花の、その貝を合わせたような形の白い鱗茎を使う。
「本来なら乾燥させるんだけど、時間がないからこのまま使う。小梅ちゃん、痛かったらごめんな」
「はい。化け物が退治できるなら、どんなに痛くても我慢します」
「人面瘡に何か与えた?」
「空腹にさせておいたほうがいいと駿さんが言っていたから、昨日から食べ物は与えていません」
「よし」
鱗茎は生のまま、徳利の酒に浸した。
そのまましばらく待ち、妖花の毒が充分に酒に染み出した頃、処置を開始する。
足を延ばして小梅を座らせ、小袖の裾を膝までまくった。
彼女が動かないよう、後ろから碓氷が彼女を羽交い絞めにし、柾が少し膝を立てた彼女の左足を押さえる。
湯や盥、徳利や盃など、駿の傍らには必要な品が並べられている。妖怪退治をする交換条件として、他の少年たちもその様子を見学させてもらっていた。
「……」
不安そうな小梅が何も見なくていいように、駿は手拭いで彼女に目隠しをした。
そして、貝覆いの鱗茎を浸した徳利の酒を、おもむろに盃につぐ。
「いくよ」
「はい」
震える声で、だが、小梅は気丈に答えた。
ケケッ、と奇妙な声がした。
少女の左の膝頭にある、その醜怪な“顔”を、浮き島の少年たちは息を呑んで見つめている。ひきつったように笑うそれが物欲しそうに口らしきものを開けたとき、すかさず駿が盃の酒を注いだ。
「……っ!」
小梅が痛みをこらえるように身体をびくりとさせた。
ゲッ、ゲッ、と膝頭の“顔”が苦しそうにゆがみ、咳き込んだ。それはしばらく呻いていたが、新鮮な空気を求めるように、再び大きく口を開いた。
化け物の反応を見守っていた駿が、今度は徳利を手に持って、開かれた“口”にその毒の酒を直接注ぐ。
──グアッ、ゲェッゲッ……!
と、異様な声がしたと思うと、小梅の膝の複雑に皺のよった腫物が──張り付いた“顔”がうねり出した。
「いっ、痛い──!」
小梅が叫ぶ。
彼女が暴れ出さないように、碓氷と柾が彼女の身体を押さえつけた。
醜悪な顔のような人面瘡が、その“顔”をぐちゃぐちゃにゆがめ、苦しんでいるように見えた。
駿が自身の髪を一本切り取った。
小梅に寄生した人面瘡は、呑まされた毒を吐き出そうともがいているようだ。
うねる腫物が再度人の顔のような形状を作り出し、唇を尖らせて何かを吐き出そうとしたとき、駿がその“口”の中に己の髪の毛を滑りこませた。
見守る童子たちが息を呑む。
それは、“口”に入れられた鬼の妖気をまとう髪に反射的に喰らいついた。
「いっ……!」
痛みに呻く小梅が泣き声のような声を上げた。
駿は慎重に髪を引く。
今度こそ確実に吊り上げねばならない。
駿が一本の髪をゆっくりと引いていくと、その動きに従って、髪に喰らいついた人面瘡も、彼女の膝からずるずると引き上げられていった。
それは大人の握り拳ほどの赤黒い肉塊となって、少女の膝から引きずり出された。
駿の表情は変わらない。
細い髪の毛一本に吊るされた人面瘡が完全に膝から抜け出ると、小さく呻いた小梅の全身の力が抜けた。
「盥」
駿の声に応え、柾が小さめの盥を差し出した。
駿はそこに引きずり出した肉塊を入れ、残った酒を全て注いだ。人の顔をした醜悪な肉塊は、しばらく苦しげにうねっていたが、やがて事切れたのか、ぴくりとも動かなくなった。
目の前で繰り広げられたおぞましい光景に少年たちは声もない。
「柾、人面瘡の後始末を頼めるか?」
「ああ」
駿は血まみれの彼女の膝を湯で洗い、真新しいさらしで患部を押さえた。
「止血はしておく。碓氷は小梅の膝の手当てをしてくれ。肩と同じように真朱の妖気で湿布するんだ」
「解った」
人面瘡を取り除いた後の少女の膝は痛々しく抉れたように血に染まっている。だが、とりあえず寄生していた妖怪を退治することはできたのだ。
碓氷はほっとして、抱きかかえている小梅の顔を覗き込んだ。
彼女はぐったりと気を失っていた。
≪ 参 伍 ≫
2025.12.26.