金銀妖瞳 [弐]

 翌日、社の奥のしめ縄を張った洞穴の前に、八尋たちの姿があった。
 旅支度をした八尋、真尋、胡蝶の三人と、猫又の少年・紫苑。そして、駿と佐保が見送りに来ていた。
 八尋の肩には真朱の鳥の蘇芳が止まっている。
「これ、試作品なんだけど」
 と、佐保が差し出した品は朱色の組紐だ。
「真朱の鳥の羽根を編み込んでいるの。地上へ行くとき、胡蝶と真尋が持っていたら役に立つかなって」
 浮き島の里で一番年若い女房である佐保は十七歳で、ひとつ違いの胡蝶とは仲がいい。
 組紐を手にした駿が、いろいろな角度からそれを眺めた。
「なるほど。妖気を放っているな」
「真朱は抜けた羽根にも強い妖気が宿っているって聞いたから」
 駿から組紐を手渡された八尋もそれを見て軽くうなずく。
「いいね。真尋や胡蝶が持っていたら、地上で万が一はぐれたとき、真朱の妖気ですぐに居場所が判るだろう」
 佐保は返してもらった組紐で、真っ白い紫苑の髪をひとつに結んだ。
「化け猫くん、まだ妖力が完全じゃないんでしょう? これを身に付けていたら、少しは楽じゃないかしら」
 白一色の彼に朱色の組紐が映える。
 化け猫、もとい、猫又の紫苑が、ちらりと佐保を振り仰いだ。
「おいっ」
「ごめんなさい、化け猫じゃなくて、紫苑だったわね」
「……いやっ、えっと、その……あ、ありがと」
 視線を泳がせ、小さな声でぎこちなく礼を言う少年に、真尋と胡蝶がくすくすと忍び笑いを洩らす。
 紫苑は真っ赤になった。
 居心地悪そうに、それでも彼は、律義に駿にぺこりと頭を下げた。
「世話になった。とりあえず礼を言う」
「気をつけてな。無事に姉者に会えることを祈ってる。八尋、あとは任せたぞ」
「解ってる」
「任せろ、駿」
 真尋が自信満々で、猫又の少年の手を取った。
「行くよ、紫苑」
「なっ、何すんだ。一人で歩ける!」
「強がるなって。洞穴の中は真っ暗だぞ? 怖くて泣いても知らねえぞ?」
「泣かねえっ!」
「ねえ、真尋。でも、猫って夜目がきくんじゃない?」
「……あ」
 胡蝶の冷静な突っ込みに、その場に笑いが弾けた。
 子供扱いされた紫苑は、照れ隠しなのか、真っ赤な顔で仏頂面を作っていた。

* * *

 洞穴を抜けると、外界は山の中だった。
 八尋たちと一緒にもといた世界に戻ってきた紫苑は、きょろきょろと辺りを見廻し、匂いを確かめるように大きく息を吸った。
「どうだ、紫苑? この場所に見覚えはあるか?」
 八尋が問うと、白い少年はふるふると首を振る。
「判んねえ。人間たちに追われて、逃げるのに必死だったし、土地勘のある場所でもなかったし」
「姉者の妖気を追うことはできるか?」
 紫苑はまたしてもふるふると首を振る。
「この近くにはいないみたいだ。何も感じない」
「ねえ、八尋には紫苑の姉者の妖気は判らないの?」
 ふと胡蝶が訊くと、八尋は軽く肩をすくめてみせた。
「紫苑と同種の妖気を捜すことはできるよ。だが、肝心の紫苑が妖力を完全に失って浮き島に来たから、そもそも紫苑の妖気がどういう感じか判らないんだ」
「紫苑は妖力が戻ったから人に化けたんじゃないの?」
「だって、今の紫苑の妖力の源は、浮き島の妖気を吸収したものだぞ?」
 しょんぼりしている猫又の少年を真尋が見遣る。
「おまえ、どうやって姉者を見つけるつもりだったんだ?」
「それは……その、えっと」
「策なしか」
 真尋はため息をつく。
「どうする、八尋?」
「そうだな。人間に攫われたのなら、とりあえず人里を辿ってみよう。──紫苑、姉者の名前は?」
「あんず。銀杏の“杏”に子供の“子”って書くんだ」
「可愛い名前だね」
 胡蝶が微笑むと、紫苑はやや得意げに胸を張った。
「姉者は名前も可愛いけど、本人は名前よりもずっと綺麗で可愛いぞ」
「紫苑みたいに人に化けられる? 髪は白い?」
「もちろんだ」
「会うの楽しみ。頑張って捜そ?」
 紫苑は少し元気が出てきたようだ。
 八尋たちは、山を下りて近辺の村々を巡り、情報を集めてみることにした。


 少女が走っていく。
 そこはある村の外れの廃寺の境内だった。
 辺りを見廻して、少女は薄汚い物置小屋にそっと入った。
 小屋の中は埃っぽかった。
杏子あんず? 杏子、どこ?」
「ここにいる」
 少女の呼びかけに答えたのもまた、幼い少女の声であった。
「握り飯、持ってきた。朝ご飯だよ」
「ありがとう、三鈴」
 薄暗い中で眼を凝らす三鈴の前に姿を見せたのは、白い髪の少女だった。
 その白い少女に、三鈴が握り飯を手渡す。
「ごめんね、杏子。いつもこんな麦飯で」
「三鈴のせいではない」
 杏子と呼ばれた白い髪の少女は、大人びた口調で言い、握り飯にかぶりついた。
 真っ白の肩までの髪に白い肌。
 目尻の上がった大きな眼は金色に光っていた。
 三鈴は、そんな杏子をしげしげと見つめる。
「杏子はお姫様みたいに綺麗だもん。前はもっといいもの食べてたんでしょ?」
「どうだろうな。それに、本物のお姫様の髪は白くないぞ?」
 双子の弟とはぐれた猫又の少女・杏子は、傀儡師の一座に売られていた。
 着ているものは白い水干に紅の袴で、これに立烏帽子をかぶれば、そのまま白拍子の姿だ。実際、杏子は白子の白拍子との触れ込みで、見世物小屋で舞を舞わされている。
 男が三人、女が二人の旅芸人の一行は、この村で見世物を行うため、現在は村の廃寺に滞在しているのだ。
 見世物は奇術やあやつり人形、または人魚のミイラや河童の手のミイラなどの珍しい品、傀儡女と呼ばれる女たちは唄や琵琶の演奏の他に、ときには春をひさぐこともある。
 三鈴は浮浪児だった。
 一年半ほど前に一行に拾われ、以来、雑用をさせられ、こき使われていた。九歳だが、痩せていて小柄なので、七つほどの杏子と同じくらいの年頃に見える。
 見世物をしながら旅をする大人たちに連れられ、ただ働くだけの生活をしていた三鈴には、突然やってきた人形のような白い少女が、とてもまぶしく、美しく見えた。
「杏子」
「なんだ?」
「杏子はずっとここにいる?」
 握り飯を食べ終えた杏子はぺろりと指を舐め、三鈴が差し出した竹筒の水を飲んだ。
「しばらくは厄介になる。食べる物に困らないし、身を隠せるしな。でも、弟を見つけなければならない」
「弟?」
「ああ。双子の弟とはぐれて、わたしだけここへ連れてこられたんだ」
「弟も白子なの?」
 杏子はくすりと妖しげな含み笑いを見せた。
「三鈴にだけ教えようか? 実は、わたしは人間の白子ではない。妖怪なんだ」
「えっ、妖怪?」
 三鈴は大きく眼を見張って驚いた。
「嘘だ。杏子はそんなに綺麗で、だって、あたしたちを襲わないし」
「全ての妖怪が狂暴で攻撃的なわけではない。とにかく、わたしは弟と合流しないと動きが取れない。だから、今はここにいるしかない」
 じっと杏子を見る三鈴は、考えるように首を傾げた。
「弟、どこにいるの?」
「判らない。弟は勝気だが非力で、わたしがいないと何もできない。今頃、途方に暮れているだろう。泣いているかもしれない。早く見つけてやらないと」
「あたしに何かできることある?」
「そうだな」
 杏子は大人びた仕草で顎に手をやった。
「わたしを外へ出すと、三鈴が叱られるのだろう? だったら、わたしの代わりに三鈴がこの笛を吹いてくれないか?」
「笛?」
 杏子が懐から取り出したのは、小さな丸い土笛だった。
 白っぽい色で、卵のような形をしている。
 受け取った三鈴はそっとそれを吹いてみた。
「鳴らないよ?」
「妖怪にしか聞こえない特殊な音を発する笛だ。人間には聞こえない。それを、風上になった見晴らしのいい場所で吹いてくれ。弟が聞いたら、わたしからの合図だと解るはずだ」
「他の妖怪が寄ってこない?」
「大丈夫。他の妖怪たちにとっては、小鳥のさえずりくらいの価値もない音だ」
「解った」
 三鈴は用心深くその土笛を自分の懐にしまった。
「傀儡師たちには内緒だぞ」
「うん。約束」
 高値で買った白子の少女が逃げないように、見世物が行われる時間以外、杏子はこの物置小屋に閉じ込められている。
 友達も兄弟もいない三鈴は、杏子が来てからよく杏子といるようになったが、あまり長く話し込んでいては大人たちに叱られるだろう。
 三鈴は杏子に手を振ると、小屋の扉をしっかりと閉め、また来るね、と扉越しに言い、心張り棒で戸を押さえた。
 小柄な少女の気配が遠ざかると、杏子は静かに瞑目した。

≪ 壱   参 ≫ 

2021.8.31.